― 日本への歯科矯正医療の伝来とその翻訳 ― 齒科矯正學の歴史
irregularity of the teeth / orthodontia / orthodontics
日本の歯科矯正医療の歴史
【到達目標】
問い:いかにしてこの学問(歯科矯正学)の概念が生まれ,
問い:どのようにして(誰が いつ)わが国へ伝来し受容され,
問い:日本国民の健康で文化的な生活に必要とされる医療となりつつあるのか.
なぜわが国の医療保障の適用範囲は未だ制限され続けているのか?
公平な医療,社会に求められる矯正歯科専門医の使命とはなにか?
- 目 次 - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
百科全書:西洋文明を紹介した文部省翻譯出版プロジェクト
文部省,箕作麟祥,福沢諭吉,西村茂樹
此頃は洋書を読む者は多く和漢の書に通ぜず、
是を以て訳成る毎に、必す漢文に通する者をして其文を修正せしむ、
是を校正といふ(西村茂樹)
著(ちょ),撰,選,述(じゅつ)
錄,抄,集
輯(しゅう),編(へん),纂(さん)
譯,閲
編纂,著述,纂述
翻譯,共譯,筆記,口述ノ筆記
medicine とは
医療と医学(研究)
定義
歯科医学史研究の目的
研究方法
1. 史料
2. 史料批判
1次史料 / 2次史料
3. 統合
4. 比較研究
史観
結語
歴史学的な見方
長期的な視座でみる姿勢
他の地域・国家との比較
自国の現在地
記述 の 嚆矢:太 安万侶(712 和銅5 )古事記; 波那美波 志比斯那須(歯並は椎や菱のごとく)
翻譯 の 嚆矢:土岐 頼徳(1872 明治5)啓蒙養生訓;齒列整はぬときの抜去
翻譯 の 嚆矢:横瀬文彦/阿部弘国(1873 明治6)西洋養生論;歯列(ハナラビ)の用語
翻譯 の 嚆矢:小林 義直(1875 明治8)四民須知養生浅説;irregular 歯列不整の用語
翻譯 の 嚆矢:松本良順/澤田俊三(1876 明治09)育児小言;a double teeth.
翻譯 の 嚆矢:高山 紀齋 (1881 明治14)保齒新論;irregularity of the teeth.
翻譯 の 嚆矢:河田麟也/大月龜太郎 (1885 明治18)歯科全書;orthodontia.
翻譯: 矯正の嚆矢:小林 義直 (1889 明治22)歯科提要;orthodontishe behandlung.
講義 の 嚆矢:青山松次郎(1890 明治24)高山齒科醫學院講義録
演説 の 嚆矢:榎本 積一 (1892 明治25)亂排齒矯正術(16歳女)の矯正例
論文報告の 嚆矢:八百枝康三(1896 明治29)鹺跌矯正ノ實験
辞書への記載 :佐藤 運雄(1908 明治41) 醫學大辞書; orthodontia(歯科矯正術)
学会発表の 嚆矢:佐藤 久 (1918 大正7)
翻訳者たちの郷里と師弟関係について
小林 義直 1844-1905
高山 紀齋 1850-1933
伊澤 信平 1860-1923
河田 麟也 1863-1890
青山千代次 1864-1889
青山松次郎 1867-1945
小林義直氏について 【略伝】
亂杭齒,亂排齒
snaggletooth, crooked teeth, double tooth 八重歯
乱杭,八重の語源
叢生 crowded teeth
現代用語の国民の解釈
歴史認識の齟齬
史実とはなにか
公平な視点 と 正義の女神 Leady Justice
論点の明確化
Pierre Fauchard (1678-1761)
J. Lefoulon
Chapin A. Harris
Irregurality of the Teeth.
Treatment of the irregurality of the Teeth.
orthodontia.
orthodontishe behandlung. <英>orthodontic treatment.
中庸 第十章
漢和辞典 『字通』 より;
主たる教科書における歴史記述
矯正歯科医による歴史記述
時代区分 @ 欧米 と 日本
= = = = = = = = = = = = = = = = = = =
明治期には,英語を漢文のように返り点などを使って読み下していく 「変則英語」 と,会話と直接読解を中心とする 「正則英語」 の二種類の教育法がありました.漱石は教師になって以降も,一貫して正則英語の支持者だったので,現代の英語教育者と変わらない感覚を持っていました.当時を考証した 「幕末維新期漢学塾の研究(生馬)」 によると,「一度漢学を学んだ学生が外国語を学ぶと発音は悪かったが読書力に至っては,はるかに正則生(外国人から英語を学ぶ)に優っていた」 とされています.
正則:外国人から英語を学ぶ
変則:発音や文法は関係なく,意味を理解する
百科全書:西洋文明を紹介した文部省翻譯出版プロジェクト
文部省
箕作麟祥
福沢諭吉
西村茂樹
此頃は洋書を読む者は多く和漢の書に通ぜず、是を以て訳成る毎に、必す漢文に通する者をして其文を修正せしむ、是を校正といふ(西村茂樹)
☛ 参考:編著の役割と用語.
橋口侯之介:和本入門 千年生きる書物の世界.p.145-
平凡社ライブラリー 2011.
著(ちょ):書物にあらわす.内容に創造性があり,書き手が責任を有する.著述.
撰:江戸時代は著とほぼ同義に使う.厳密には著ほど創造性はないがその人の文章で事柄を述べたときに使う.
選:先人の作品の中から優れたものを選んでまとめること.撰との違いに注意.
述(じゅつ):述べること.述べたもの.人の言行を記述したもの.
録:書いたものをとどめておく.講義をしるす(講義録).題目を書き並べる(目録).
抄:抜き書きをする(抄録)
集:文章や詩歌などの材料を集めてまとめる
輯(しゅう):集とほぼ同じだが,もう少し編集に近く系統立てるという意味がある.聚や緝ともいう.
編:諸説を集めたあと,それらを統合し系統立てること.篇は書物の部立てに用いる.
纂(さん) :集めてそろえる.編集する
☞ したがって,輯・編・纂の順でしだいに高度な編集をすることになる.
譯(訳 やく):外国語から日本語に翻譯する.
閲(えつ):けみする.間違いの有無などを調べる.書物などに目を通す.
著述:書物を書きあらわすこと.著作.
譯述:翻譯して述べたもの.
編纂/纂述:いろいろの材料を集め,整理・加筆などにより書物にまとめる.
翻譯/共譯/〇〇氏著/譯述:翻譯したもの
筆記/口述ノ筆記:誰かの講義を記したもの
編著の役割 | 例)書名 | |
和本 | 述 | 保齒新論 |
第一輯 | 東京齒科醫學院講義録 | |
譯述 | 歯科提要 | |
共譯 | 歯科全書 | |
纂述 | 鹺齒矯正術 | |
著 | 齒科矯正學綱領 |
日本の歯科矯正医療の従事者(矯正歯科専門医)は,治療 treatment という言葉を好んで使い,医療 medicine / health care という言葉を口にしたり,記述している論文はめったにありません.なぜでしょうか? ヨーロッパ諸国,米国,ブラジルなど,国民の健康で文化的な生活が社会保障制度によって歯科矯正医療へのアクセスが公平に保障されている国々と,わが国の歯科矯正医療従事者の持つ社会的使命に大きな相違があります.わが国に歯科医療が受容され,現在に至るまでの歴史的経過を含めて学び・理解することは,日本の立ち遅れている現状,たまたま日本に生まれた子どもたちの不平等な歯科矯正医療へのアクセス,社会問題としての歯科矯正医療を知ることに役立ちます.
med·i·cine
(mĕd□ĭ-sĭn) n.
1.
a.
The science
and art of diagnosing and treating disease or injury and maintaining health.
b.
The branch of this science encompassing treatment by drugs, diet, exercise, and
other nonsurgical means.
2.
The practice
of medicine.
3.
A substance,
especially a drug, used to treat the signs and symptoms of a disease, condition,
or injury.
medicineとは:
医学: 人体の病気についての医学
医療: 医学の実践的(社会への)応用
医薬: 医療に用いるくすり
「医」: 医学 + 医療
eqyality 平等
inequality 格差,不平等
fairness 公正,公平
health care 保険医療
medicine 医療
public health 保健・公衆衛生活動,医療
health care system 保健医療制度 health system
medical care system 医療制度
医療とは
医療の目的は健康の維持です.あなたが健康に影響する病気や症状のため,医師・歯科医師・看護師・栄養士・理学療法士などの医療専門家など,かかりつけの医療提供者に診てもらうときに「医療」を受けています.医療提供者はあなたの心配事を聴き,症状の原因を見つけて病気や疾患を治すための検査をします.医療提供者は検査結果をあなたにお知らせし,検査結果の意味を分かりやすく説明します.あなたは自分の治療の選択肢について相談し,医療提供者はあなたが受ける治療の決定を助けます.医療を受けている時,あなたは「患者」と呼ばれます.
医学研究とは
医学研究(または臨床研究)の目的は将来の医療の向上です.医学研究は,医師・歯科医師や研究者が,人の健康と病気について知るために役立ちます.病気を予防・治療するためのより優れた方法も発見できます.臨床研究への参加は将来の人の役に立つ可能性があります.しかし,その研究が必ずしもあなたの現在の病気の症状に役に立つとは限りません.
医学研究 | 医療 | ||
目的 |
健康に影響する病気,症状,薬,医療機器,治療手順にかかわる特定の課題を解決するため |
健康に影響する病気,症状をもつあなたを助けるため |
|
あなたの立場 | 研究参加者,研究被験者,治験被験者,研究ボランティア |
患者 |
|
誰が いつ メリットを受けるのか |
将来医療を受ける人. メリットがあるかないかはわかりません |
あなた自身,現在 |
|
結果の正確性 | 研究中の治療法が現在の治療法より優れているかどうかは,研究者には特定できません | 医療提供者は,検証済みの治療法を提供します.検証済みの治療法は安全性と有効性が認められています |
医療行為は,簡単に言うと 「人が他人を治す」 という社会的実践です.社会的・文化的行為であり,共同体構成員が病的状態,適応状態から逸脱する場合に,共同体が持っている技術,知識,富という社会的資産と労働力をもって,病的状態の人が,健康に生存し続けるように手当,治療をすることです.
医療を実践する知識や経験,病気を認知し,原因を同定追求し,対処法を提示する知識理論体系を 「医学」 と言います.先に 「医療」 があり,「医学」 はその 「医療」 を効率よく実践するための意図的に編集された学問知識体系です.「医療」 は人類の歴史とともに古く,連綿と続いているのに対し,「医学」 は時代と共に変化してゆきます.
医療は本質的に不確実・不確定な部分があり,すべての医療行為には常にリスクを伴います.予期せぬ重大な合併症や偶発事故は起こり得ます.医療の不確実性は,生命の複雑性や有限性,人体の多様性,医学の限界にも由来し,低減はできても,消滅はできません.医療行為とは無関係の病気や,加齢に伴う症状が医療行為の前後に発症することもあります.医療提供者は,これらの治療には最善を尽くしますが,予後に影響を及ぼす後遺障害が残存し,時に死亡に至ることもあります.
— 歯科医史学 概論: 故 戸出 一郎 先生 の 授業ノート に追加しました.
1. 定義
歯科医史学とは,史学の研究方法により,歯科医学の進化の原理を究明する学問である.史学に必要なものは,人文現象の時間的経過を調べることだけではなく,秩序と批判である.これをつらぬく道理の究明である.
2. 歯科医学史研究の目的
1. 現代歯科医学の方向性を知るため
2. 歯科医学思想の動向を察するため
3. 温故知新の意味において
4. 各国の歯科医学の動向を知り,その特徴をつかみとるため
5. 先哲医聖の言行を追慕するため
6. 医文学研究のため
3. 研究方法
歯科医史学の研究対象は,思想・人物・疾病に大別される.そのいずれの場合にも,研究方法としては,史料の蒐集選択,史料批判,総合,比較研究が行われる.
1. 史料
☞ 歴史資料とは何か(国立国会図書館)歴史的現象は直接われわれに与えられておらず,なんらかの素材を通じて認識されるのである.この素材を史料といい,歴史知識の源泉となるものである.
史料は次の3つの形に分類される.
イ. 考古学的史料
ロ. 文献
ハ. 伝承
2. 史料批判
史料の分析をして,そこから出てくる事項の事実性を決定すること.即ち,史料の証拠力を検査することが史料批判である.
史料批判には,通常,真贋の鑑定と価値判断について行われる.そのためには,史料の性質,史料作者の人物,時代と場所の影響などが考慮にいれられる.
史料批判では,その目安となるものは,その資料を 「いつ」 「どこで」 「だれが」 書いたか,の三要素であり,「その時」 「その場で」 「その人が」 の三要素を満たすものを 「一次史料」 と呼び,そうでないものを 「二次史料」 と呼びます.史料批判を繰り返して精度を高めていく必要があります.
ポイント ☞ 史料や「〇〇の歴史」という文献や著書をみると,「....と思われる」 「何某が......言っていた」,あるいは,定説とされる高名な研究者の著書においてさえ,誤記や偏好,歪曲,思い込み,誤解されたものが多数あり,Lady Justice の項で述べる.
3. 統合
分解された事物の要素を集合統一して全体に帰することである.
4. 比較研究
一つの事実をよりよく理解するために,他の事物と対比して考究する方法である.
4. 史観
歴史の眞利は,分析と総合のほどよい調和によって得られるものである.史的認識は客観と主観とが統一されてはじめて可能となる.史的事件は一部分しか感覚世界にあらわれておらず,残る部分は推理によって連結されなければならないから,歴史科学に純粋客観ということはあり得ない.
史家がある観点から史実を総合統一する態度を「史観」と呼ぶ.史観は主観的に制約されており,歴史叙述者の原動力となるものである.
5. 結語
史的素材を客観的に批判解釈して総合統一し,そこから歴史的原理の把握へ達することが史学の正道である.
歯科医史学は単に知識のための史学に終わらせてはならない.認識し,解決する学から未来のプログラムをたてる学にまで進出しなければならない.そのためには歴史のなかから指導理念を抽出しなければならない.指導理念とは歴史における合理的な原理を意味している.
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日本のどこであれ,町の中心部を歩いていると,〇〇矯正という看板をよく目にする.骨盤矯正,姿勢矯正,小顔矯正,縮れ毛矯正など.法的にも,法務省には矯正局があり,刑務所,拘置所,少年院,少年鑑別所などを矯正施設という.矯正という日本語は,ずっと以前からあるもので,orthodontic treatment は,明治期に 「齒列矯正術(1889, 小林義直)」,「鹺てつ(齒に失う)療法(1892, 高山紀齋)」,「鹺齒矯正術(1900, 小笠原泰民)」など,いくつかの翻訳語が考案され用いられていた.その中から小林義直の翻訳した 「歯列矯正術」 が,現在までに 「歯科矯正」 となって選択され今に残っている.
orthodontics は,中華人民共和国(中国)では 「口腔正畸学」 と翻訳され,中華民国(台湾)では 「齒顎矯正學」 である.また,日本の歯学部にあたる大学教育では,中國は 「口腔医学院」,台湾では 「口腔醫學部」 である.中国は戦後の旧ドイツ,旧ソ連や欧州の医学教育体制を,台湾では日本とアメリカの医学教育体制を取り入れたためである.Dental surgery の一分野として,齒の不整や子どもの変形の医療として専門分化してきた orthodontics は,それぞれの国や地域における医療体制の変遷や社会背景よって,その言葉や医療概念とともに,各国での公的医療としての保障制度に影響している.
現在(2024年),健康で文化的な生活を送ることができる多くの先進諸国(英,仏,独など欧州諸国,米国,ブラジルなど)では,歯の位置や顎骨の大きさの異常は,国民の健康(身体的・社会的・精神的)上の問題として,医学的に必要な医療として社会的に受容され,公的医療保障制度の適用対象となっている.わが国の歯科矯正医療は,国際社会における価値感から逸脱した異質な経過をたどっており,国民への公平な歯科矯正医療の提供体制が欠落していることは知っておくべきである.
☛ 各国における歯科矯正医療の社会的供給体制の比較
☛ 「医学的に必要な歯科矯正」基準 米国における歯科矯正の公的医療保険
☛ 「子どもの歯科矯正」 への公的医療保険の国際比較(OECD加盟国)
☛ ヨーロッパ諸国における歯科矯正医療の公的医療保険の現状(2010)
【 the father of something 】
the man who began something or first made something important.
the father of orthodontics(欧州,米国)
@ 歯科矯正学の父: Norman William Kingsley(1829-1913)
A 近代歯科矯正学の父:Edward Hartley Angle(1855-1930)
B 公衆衛生 Public Health Orthodontics のパイオニア:Jacob Amos Salzmann (1900-92)
【 ...の嚆矢 こうし 】
1. 先端に音のなる鏑を取り付けた矢。鏑矢。
2. 物事の初め。始まり。戦争の始まりに鏑矢を射ることで合図にしていたことから。
歯科矯正 〇〇 の嚆矢(日本)
- - 記述
@ 記述 の 嚆矢:太 安万侶(712 和銅5 )古事記; 波那美波 志比斯那須(歯並は椎や菱のごとく)
- - 翻譯
A 翻譯 の 嚆矢:土岐 頼徳(1872 明治5)啓蒙養生訓;齒列整はぬときの抜去
B 翻譯 の 嚆矢:横瀬文彦/阿部弘国(1873 明治6)西洋養生論;歯列(ハナラビ)の用語
C 翻譯 の 嚆矢:小林 義直(1875 明治8)四民須知養生浅説;irregularを 「歯列不整」 と訳す.
D 翻譯 の 嚆矢:松本順:閲・澤田俊三:譯(1876 明治09)育児小言;a double teeth を「八重歯」 と訳す.
E 翻譯 の 嚆矢:高山 紀齋(1881 明治14)保齒新論;irregularity of the teeth を 「齒牙鹺跌」 と訳す.
F 翻譯 の 嚆矢:河田鱗也と大月龜太郎
(1885 明治18)歯科全書;orthodontia を 「歯の療法」 と訳す.
G 翻譯 の 嚆矢:小林 義直(1889 明治22)歯科提要;orthodontishe behandlung を 「歯列矯正術」 と訳す.
- - 講義・演説・報告
H 講義 の 嚆矢:青山松次郎(1890 明治24)高山齒科醫學院講義録 「齒の不整」
I 演説 の 嚆矢:榎本 積一(1892 明治25)亂排齒矯正術(16歳女)の矯正例.(現在の症例報告か?)
J 論文報告の 嚆矢:八百枝康三(1896 明治29)鹺跌矯正ノ實験
K 辞書への記載 :佐藤 運雄(1908 明治41) 醫學大辞書; orthodontia(歯科矯正術)
L 学会発表の 嚆矢:佐藤 久 (1918 大正7) ということが一次史料から確認された.
※ 赤字 部は,鈴木らの論文に未記載のもの.
彼らは備中・備後を中心とした地域(広島・岡山)と大変深い関係にあった.
小林義直は同郷の者の世話をよくしたとあり(芸備医誌),つながりや情報交換もあったのであろう.
福澤諭吉 = = = <中津の同郷>= = = 小幡英之助
(1835-1901) (1850-1909)
翻訳者 生没 出身地 ↕-- 適塾(蘭学)
小林 義直 CG 1844-1905 備後国野上村(現福山市)= = = = 井上角五郎: 野上村から慶應義塾へ
高山 紀齋 E 1850-1933 備中岡山
伊澤 信平 1860-1923 備後福山藩.伊澤蘭軒の子息で備後福山藩医 伊澤盤安(柏軒)の子.
河田 麟也 F 1863-1890 浜田藩から美作国へ転居(大月龜太郎は栃木足利村)
青山千代次 1864-1889 青山松次郎の兄,歯科移籍第1号.1888;安芸広島の細工町(現大手町1丁目)で開業.
青山松次郎 H 1867-1945 備前岡山
2) 「小林義直とその訳書」 鈴木勝ほか,日本歯科医史学会雑誌,1(1) 29-33, 1973 より引用.
【略伝】 弘化元年(1844)8月8日,備後国の野上村(現広島県福山市)の農業,小林周蔵の長男として生れ,幼名を辰太郎又は達太郎と呼んでいた.その辰太郎は体が弱く,その労作に耐えないので,実家を次男に譲り,福山藩の江木繁太郎(鱈水)に漢学,儒学を,叉蘭学を寺地舟里(通称は強平)に学び,漢洋双方の医学を修めた.特に優秀性を江木氏にかわれ,江木氏の推せんで,当時上族でないと許可しなかった藩黌誠之館の試験をうけ入学,卒業後は福山地方における最初の洋医として開業した.
墓は、東京都台東区谷中7丁目5-24の「谷中霊園(甲1号3側)」にあり,墓石正面は,「小林家累世之墓」.「恭敬院釈義照居士」.同郷福山出身で明治17年(1884)に日本人初の東大産科婦人科教授となるも29歳で病没した清水郁太郎(1857-1885)の墓と隣り合わせに並ぶ.平成21年(2009)3月改築.同姓同名の医師墓があるので注意.
注)@ 古事記:椎,菱の実 ⇒ See 年表 712年
椎:ブナ科の常緑広葉樹.古代には食料とされた.樹木は乾燥すると割れやすく耐久性も低く材木としての使用も少ない.
椎の実
(画像提供:PIXTA)
菱:ヒシ科.ヒシ,オニビシ,ヒメビシ,など.東アジアに広く分布する古来からの水生植物.水栗ともいわれ栗のような味.
菱(オニヒシ)の実.犬歯のような形態である.
(画像提供:PIXTA)
椎(しい)や菱(ヒシ)の実の形:歯並びを 「椎や菱の実」 に例えるということ,医学的に現代語で表現すれば,ひどい乱排齒の状態で,歯黒(おはぐろ)をつけていであろう.古事記の現代語訳では,白いキレイイな歯並びの娘と訳されているが,価値観も現代語とすればそうなるのかもしれない.しかし,当時の美の価値観は真逆であった.
注)I
1) 亂排齒矯正術/乱排齒矯正術:について
恥ずかしながら,しばらく亂排齒の 「亂」 は,乳歯の「乳」 の字と思って解読していた時期があった.「亂」 は 「乱」 の旧字体. 亂排齒(らんばいし)は,俗に 「亂杭齒(らんぐいば)」<そろわぬ齒> とある.明治期,齒の位置異常 irregularity of the teeth は,所謂(いわゆる)亂排齒,または,俗に亂杭齒と云われた.
【亂杭 らんぐい 】 の語源:
戦国時代,川底や地上にふぞろいに杭を打ち込み,太い綱(ツナ)や網(アミ)などを張り,攻めてくる敵や馬の障害物とした.ふぞろいな状態を例えて亂杭の状態とし,世間では歯並びの悪いことを亂杭齒と言ったようである.その治療は 「亂排歯矯正術(らんばいしきょうせいじゅつ)」 あるいは 「亂杭齒矯正(らんぐいばきょうせい)」 と記されている.「亂杭」 や 「逆茂木」 は,敵の防御策として,平安以降の築城の文献に散見されることからよく知られた言葉だったようである.
「乱ぐい歯」 という言葉は,患者さんからもよく聞く言葉であった.最近では,いつの間にか,「叢生(そうせい)」:叢(くさむら).草木が無秩序にむらがり生えている所.に置き換わってしまった.そのうち,都会の人々は,草むらさえ知らない子供たちがふえるとなんという名になっち行くのだろうか.日本矯正歯科学会の 「歯科矯正学用語辞典」 には,「叢生」 の英訳は Crowding と記載されている.Crowding は「叢生(齒の)」 と記載されているが,乗っていない.こうした歴史ある日本文化に由来した叢生の呼び名はぜひ残ってほしいと思のである.私は,叢生より亂排齒の方が好きである.日本矯正歯科学会編 「歯科矯正学用語集」
高橋五郎 著 『いろは辞典: 漢英対照』
長尾景弼 明21.5.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/902745
(上左図)歯科医会 編 『歯牙保護論』 p.14 歯科医会
明28.11. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/836508/1/12
(上右図)高橋五郎 編 『和漢雅俗いろは辞典』 第2冊 かんがみる−ごますり
明治22 長尾景弼 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/992939/1/88?keyword=%E4%BA%82%E6%9D%AD
● 亂排齒,亂杭齒はさらにさかのぼると,「押齒」 と云われ,古事記等にも記載されている.
「八重歯」 という日本の文化的言葉,「叢生齒」という例え.
八重歯はいつの間にか誤解され 「犬歯」 に特定された俗名となった.
世間で受容されていない叢生より,八重歯や乱杭歯は歴史的にも医学用語として残すべきではなかろうか.
☞ 古事記に現われた市辺忍齒王の物語 ―押齒による個人識別の一例―
押齒(おしは)The wise-tooth: 齒の重なり生える也.
齵:グ.やえば.おしばともいう.
「俗に親知らずといいて,奥の方に遅く生ふる齒あれば遅齒と思う人あるがまぎらわすべからず」との説明もあった.
Johann Joseph Hoffmann 著(ライデン,オランダ)
『Japanese-English dictionary』 E.J.Brill社 1881.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1871566 (参照 2024-11-10)
eye teeth, canine
Talbot の書(Irregularities
of the teeth and their treatment / by Eugene S. Talbot.
Galen (150 A. D.) gave the canine teeth the present
popular term "eyeteeth," because he believed
they were supplied by the optic nerve. 出典:Irregularities
of the teeth and their treatment / by Eugene S. Talbot.
give one's eyeteeth for ....
snaggletooth in British English (ˈsnæɡəlˌtuːθ )
noun, a tooth that is broken or projecting
折れたり突き出ている歯.
Crooked teeth
曲がって歪んで並んだ歯.
a double tooth:八重歯,かさなりば.
八重:八つ重なっていること.いくつも重なっていること.転じて数多く重なっていること.
八重桜,八重垣,八重山 など.
八重桜 桜
八重垣:幾重にも作った垣.
八重雲:幾重にも重なっている雲.
八重山:幾重にも重なっている山.
「二枚歯」 や 「二重歯列」 との用語も double tooth の別訳.
八重歯の語源を 刃(やいば)とする俗説もあるが間違い.
史料によると,
1876年に英国で刊行された "Advice to a mother ....(☞ 別項:1876年を参照)" の翻譯で澤田俊三(松本順 閲)は double teeth を八重歯と翻譯した.
末広がりの字形 「八」 は縁起が良いとされ現代でも好まれている(例;車の八(8)ナンバーなど).
重なった齒(八重歯)も,日本国では縁起の良いものとされていたようである.
八重歯は犬歯に限らず,亂排齒,亂杭齒と同義であったようである.
明治40年頃になると,和英辞書では oblique teeth 表記も出てくる.
明治期まで歯並びに関心のなかった日本文化の社会背景を知る.
注)旧字体の手引きとして
か | き | |||
す ず | ||||
な | に | の | ||
は | ||||
み | も | |||
り | る | |||
る に な
す ず み も
の は き り か
齒の事
凡小兒は産後七カ月を経れば大抵齒を生すれども或は三カ月にして齒を生するもありされど之は普通のものと言いかたじ然るに英國王リチャルド第二世の如く生れながらにして齒があるものあり其他此類の小兒往々舊記に遺れるを以て稀には世にあるものとみえたり然れども如斯の齒は永續せず常に脱落するものなり之に反して一年半或は二年を經るとも未だ齒を生ぜざるものあり偶には三四年に及ひ或は終年齒なきものあり1860年刊行の佛國醫事新聞に一老婆の齢八十五歳に至りて初めて齒を生じたるものを記載せし事あり總て之らの事は余が會て聞見したるものなれば錄して他日の参考に供せんとするのみ
〇小兒の初て齒を生ずるときは大抵齒數の二十枚程を□りて齦(はぐき)の上下に生出するものにて生齒は必らず一雙(ひとならび)づつ自然の順番ありて前後を違へざるものありとす最初には下齦に前齒の一雙を生じ續て上齦にも同しく一雙 (>次項へ)
(>前項より)を生して後下齦前齒の兩傍X脇齒の一雙を生し續て上齒も亦斯の如し偶Xは下齦の前X八重歯を生するものXて八重歯は必らず下齒の七八枚目に堀起するものなり而して齨齒(おくば)は第一第二と二度X生出するものXて初X下の齨齒を生じ次に上の齨齒を生し續て下の目牙(糸切り歯)を先に生し上の目牙後に生するなり而して第二度めも亦た斯の如く概ね生齒は各人同様なれども偶には異同あるものなり大抵二年を經れば總て初生齒(はじめのは)の一列(ならべ)を生え揃もの故小兒の二歳になるものは凡齒數十六枚あり二年半になるものは凡そ齒數二十枚あるを通例とせり
雙:両,双,二つの
舊:キュウ.ふるい,もとの
注)齒数の単位は「枚」であった.
X:に
而して:しかして.そして
斯(し):これ,この
〇 乳婆の常として兄の玩物(おもちゃ)を象牙の類を興ふるは最も宜しからさることなり小兒は物を咬み試むるものなれば堅牢にして撓ゆまざる物は兒の齦(はぐき)を損い齒に力を費す事多ければ小兒の□康に患害を興ふる事鮮少なら□由て小兒に興ふるは麵包軟革杯(ぱんやわらかきかわ)杯の如き撓軟(やわらか)なるものを好とするなり小兒之れらの如き撓軟なるものを咬み習ふときは齦及ひ齒の働き漸々自由となり将来果して飲食し易きなり
撓まざる:力を加えても曲がらない.しなわない
齦:はぐき
撓軟:やわらかき
〇 小兒の拇指(おやゆび)を甞むるは兒の爲に裨□あるものなり蓋し拇指は樹膠(ごむ)の柔軟(やはらかき)なる如し故に拇指を力□て小兒に甞(なめ)さするときは唾沫にて自から兒の口中を潤し物を哺吸する働を付くるなり特に小兒の未だ齒を生せざるもの常に拇指を甞むるとも決して齦を損ふて□衝する杯の□なく還て齒を生したるとき齦の働き最至便なり且小兒の憤悶して狂猖(くるふ)なるものに拇指を甞さして之を慰藉すれば自から安息して睡眠に就き易きものなり蓋し拇指は兒を安慰(だます)するの方便なれば何程甞させるとも決して小兒に妨けなきものなり泰西の□□杯には往々小兒の拇指を甞むる處あり實に□工の意匠能□兒の眞致(まこと)を摸寫したりといふべし
慰藉:なぐさめていたわる
〇 初生の小兒一年程は拇指を甞むるとも憂ふべきことなけれども兒の齒全く生え揃ひ最早二年餘り生長したる時猶拇指を慕ふて息まさる時は自然常習たるの恐れあれば苦味あるものを拇指に少しく塗り付くべし然らば小兒は之を険悪して兒の偏癖(くせ)を矯(ため)るにゐと手易をきことなり
甞:しょう.なめる.舌で味わう.
矯める:矯正する
〇小兒七歳の頃には大抵齒の抜替るものにて初生齒の脱落(おつる)を待て生涯不易の堅固なる齒を生するものにて其順序は先つ初生齒の漸々緩み出し自然脱落する□成は之を抜きとり置ば同一の塲所へ二度生の齒容易に現るるなり初生の齒は二十枚なれども二度生の齒は追々生揃いて通例三十二枚あるものなり凡て二度生の齒は大切なれば平生注意し悪き不竝(ふならび)の齒を生せば早速老練の齒醫者に謀るべし
謀
〇 齒を堅固に保つには毎朝□湯を以て楊枝(西洋の楊枝にてブラシと云ふ)にて叮嚀に裏表を磨き清潔にすべし□湯は普通の齒磨粉杯より功能多きものあり
明治後期の和英辞書では oblique teeth もある.
叢生齒 Crowded teeth:
植物学の分野では,古くから 「叢生」 という言葉は用いられていた.
歯ならびの様相へ,この言葉が適用されたのは,1892年刊行 「歯科汎論」 においてである.
「叢生歯 crowded teeth」 の定義(下図 )は,佐藤運雄 著: 新纂歯科學講義 歯科矯正學(1907)記述された.
佐藤運雄 著 『齒科學通論』 前編(齒牙ノ部) 齒科學報社 1907.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1082343
1981年の
松本光生, 中川皓文 編集 『叢生 : その基礎と臨床』 医歯薬出版 1981.10.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12667016
では,以下のように定義されている.
亂排齒,叢生は,歯列弓内における歯の位置異常の問題であり,咬合異常とは異なる.「歯並びが悪いこと」 と 「咬み合わせが悪いこと」 の区別.社会や国民の価値の変化によって,健康で文化的な生活の基準は変わり,社会政策で取り組むべき社会保障制度,健康/病気の概念も変化する(喫煙,肥満,不妊症,認知症など).
病気とはなんぞ.国民の希求する健康で文化的な生活,歯科矯正医の使命とはなにか.健康上の問題かどうか.
現代では, 著しい歯の位置異常は健康上の問題(社会的・精神的)として,社会参加へのハンディイキャップ(障がい)ともなり,泰西の国々では公的医療保障の対象となっている.ところが,日本国では未だ歯科医療における社会格差による子どもたちの不登校やいじめからかいの一因として社会問題となっている.
必要な歯科矯正医療サービスを,必要な時に負担可能な費用で享受できていない日本の子供たち,歯科矯正医はこれらの本当に治療を求めている患者の存在,公平な歯科矯正医療の配分ができる社会,国民のためにどうすればよいのか考えてみるではないだろうか?
世間では,叢生という用語,上顎前突,下顎前突なども含め,社会的受容には至っていない.
現代用語の国民の解釈(国語辞典での表記) | ||||
大辞泉 第一版 1995 小学館 |
広辞苑 第4版 1995 岩波書店 |
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らん-ぐいば | 【乱杭歯】 戦国時代 |
ひどくふぞろいに生えている生えている歯.歯並びの特に悪い歯. |
乱杙のように不揃いに生えた歯.歯ならびの悪い歯. | |
やえ-ば | 【八重歯】 松本順 澤田俊三 |
正常の歯列からずれて重なったように生える歯.犬歯によく起こる.鬼歯. | 歯のわきに別に重なったように生える歯. | |
うけ-ぐち | 【受(け)口】 | 《「うけくち」とも》 下あごが上あごより前に出ている口 | 下唇が上唇よりも出ている口もと.うけくち. | |
でっ-ぱ | 【出っ歯】 | 《「でば」の音変化》 上あごの前歯が前方に突き出ていること.また,その歯. | (デバの促音化)前歯の前方にそり出たもの.そっぱ. | |
そう-せい | 【叢生】 佐藤運雄 |
草木などが群がって生えること. 「葦の叢生する水辺」 |
草木などが群がり生えること. | |
歯の 「叢生」 は記載なし.専門用語. 辞書により,口唇とあごの基準の違いあり. |
先達の偉人たちは,歯のナラビが混雑した様 crowded を,亂杭.八重,叢生(草木)などに例えた.
「叢生」 だけが選択され,学術用語集に収載されていることはもったいないが事実である.歯科矯正の文化的側面を含めて再考を望みたいものである.
2) 正木は,「新編 歯科医学概論」の歯科矯正の歴史のなかで(p.220),「歯科矯正学という用語は明治22(1899)年に青山松次郎が歯科矯正学を高山歯科学院講義録のなかに書いたのが最初である」 と記した二次史料がある.これは,下記の日本歯科評論に連載されたものを成書にまとめたものであるが,連載文にこの一文はなく,後に加筆されたものであった.史実では間違いである.しかし,この二次史料を誤認し,孫引用した論文がいくつも存在するがここでは挙げない.
1965年: 「歯科医学概論序説(11)」 日本歯科評論に連載.
1969年: 「歯科医学概論」 出版.
1975年: 「新編歯科医学概論」出版社変更のため第1版.
3) 榊原悠紀田郎は,日本歯科医師会雑誌(第25巻第10号 p.1091-1093 榎本積一と鋳造器)の中で,「わが国の歯科矯正の Case report のもっともはじめのものは,明治24年歯科雑誌(12号)に雑報風に,吉田仙正が前歯の矯正を行った記事がつづいているのがはじめであろうとと思われる」 と記した二次史料がある.しかし,歯科雑誌の創刊は,第1号は1890(昭和24)年9月であり,取り違えであろう.これに該当する記事は,1894(明治27)年の5月の歯科雑誌第29号p.229-.に記載されており,4年も後になるので,はじめてとはならない.また前歯ではなく,上顎犬歯を一週間で矯正したとあるが,短い文章である.当時の時代背景の中であり,フォシャールの記述と同じようなものである.一次史料の確認が史学に大切な良い例である.
Lady Justice(正義の女神): 目隠しの理由.
健康で文化的な生活に直接影響する 「教育」 や 「医療」 を受ける機会.これは,富や権力あるいは社会的地位などによって左右されることのない公平・公正な価値判断が求められる.
倫理的判断の一貫性:Lady justice
我が国における様々な 「歯科矯正の歴史」 に関する記述では,歴史学を述べる前提としての史料(1次史料なのか,2次史料なのかといったこと)に対する批判が十分になされていない.このため,著/述者の身内(同郷,同門,同組織の者)や 報告者の社会的地位(職業など)に対し,公平とはいえないものが多く存在していることが指摘できる.公平な判断をしようとする時,人の倫理的判断には偏りや誤りが生じやすい.普遍的倫理として世界のすべての人に受け入れられる価値判断を行うためには,正当な理由がないかぎり,特定の人(身内,親族,同郷,同門,同大学)や利益に対して特別扱いすることを認めない価値判断が求められる.
公平な視点から過去の歯科矯正の歴史に関する記述を検証すると,その著者と同じ組織にルーツを持つ人物を嚆矢としたり,歯科医師ではない人物(小林義直,河田麟也)は,公的な教科書への記述が全くなされていない.1次史料ではない思い込みや後世の脚色による史伝など,偏りのある見解がそのまま史料批判なく記述されたものもある.研究会・醫學院といった教育機関にも属していないことから,歯科医学史の表舞台から遠ざけられているのであろうか?
坂井健雄氏は,その著書(図説 医学の歴史.p.556- 医学書院 2019.)において,現代における医学史の課題として,「現代の医学・医療は,社会とのかかわりが大きいこと,進歩の速度が激しいこと,地域や国内に留まらず世界的な広がりを持つことが大きな特徴であること.対象となる過去の医学が同じであっても,著者の生きる時代によって描こうとする医学史の姿は自ずから違ってくること.」 などをふまえたうえで,留意すべき点として,以下の3点を述べている.
1. 二次文献による過去の歴史記述や評価を援用するような推量による医学史では,医学史上の事実を客観的に評価することはとてもできない.それぞれの時代の医学・医療を客観的に評価するためには,歴史を記述するもの自身が原典資料を解読し,その内容の比較検討をもとに証拠に基ずく医学史を記述すべきであること.
2. 特定の時代や特定の領域の医学・医療をミクロの視点で掘り下げるような各論的医学史では,医学史上の事実を適切に評価するのは困難であり,適切な方法とはいいがたい.医学史上の特定の時代・領域についての評価は,他の時代・領域と比較することによって初めて了解されるように,時代を越えて西洋医学の歴史を俯瞰し,地域を越えて西洋医学を他の伝統医学と比較検討する,幅広い視野の比較医学史の視点から,現代の高度な医学・医療が生み出された理由を初めて明らかにすることができる.
3. 現代医学のルーツやパラダイムの変換点を探し求める遡及的医学史では,医学の発展・進歩の真の姿を描くことはできないだろう.客観的な歴史記述の要点は,ある時代と次の時代の間で共通点と相違点を明らかにし,それを一つ一つ積み上げていくことではないだろうか.現代医学は原初の医学から始まり,時代を経て進化・発展してきたものである.
つたない要約ではあるが,興味ある方は原書(図説 医学の歴史.p.556- 医学書院 2019.)をご参照.
また,中原泉,樋口輝雄氏は,「検証・歯科医学史の書誌.日本歯史学会々誌 29(3): 183-191, 2012.」 において,「歴史は常に勝者のものであり,かつ後世の識者の脚色により歪曲された史伝が定説化していく.そこで,歯科医学史の書誌を検証すると,偏好と可褒という同様の傾向がみられる.それは,史実は客観的に過不足なく記録し,客観的に過不足なく評価することを,私ども後世史家に戒めている」 こと.また,「わが国の歯科医学史の書誌を検証すると,歯科医学史において明治時代前期は,文献のほとんど残っていない先史時代として位置づけられること.旧歯科医師法の制定された明治39年(1906)から,斯界の有史時代が始まるのである.」 と述べている.
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1728年 Pierre Fauchard(1678-1761)
dérangement des dents 歯の乱れ / mal arranges 位置異常 / les dresser 正す
1841年 J. Lefoulon
歯の配列の異常を orthodontosie と述べた.
1844年に,Thomas E. Bond, jr. は,Orthodentosy と英語に翻訳した.
1849年 Chapin A. Harris
歯科医学辞典を編纂し,以下の定義を記述.p.558
ORTHODON'TIA. Dental orthopӕdia; from ορθος, straight, right, and οδους, a tooth. That part of dental surgery which has for its object, the treatment of irregularity of the teeth. See Irregularity of the Teeth, treatment of.
ORTHODON'TIC. Relating to the treatment of irregularity of the teeth.
ORTHOPÆDl'A. From ορθος, straight, right, and παις, a child. The
ORTHOPED'IC. Relating to orthopӕdia.
1872年.土岐頼徳は,齒列整はぬときの抜歯と翻譯
1873年.横瀬文彦・阿部弘国は,歯列(ハナラビ)と翻譯.
1875年.小林義直は,irregular を 「歯列不整」 と翻譯.
1876年.松本順・澤田俊三は,double teeth を 「八重歯」 と翻譯.
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Irreulaityof the Teeth:
1881年.高山紀齋は,「齒牙鹺てつ(齒に失う)」 と翻譯.
1885年.河田鱗也は,「齒の不整」と翻譯.
orthodontia:
orthodontishe behandlung(英;orthodontic treatment):
1885年.河田 鱗也は,「歯の療法」 と翻訳.
1889年.小林 義直は,「齒列矯正術」 と翻譯.
1892年.高山 紀齋は,「鹺てつ(齒に失う)療法」 ,「齒牙鹺てつの療法」 という用語を用いた
1900年.小笠原泰民は,「鹺齒矯正術」 という用語を用いた.
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☛ 参考:医学用語としての「健康」の歴史
「矯正歯科」という語の翻訳過程もこれと似たような経過があります.古くは後漢後期の超絶書に,曲がったものを正そうとして力を入れすぎて逆の方向に曲がってしまう「矯枉過正」という語が記載されています.物事を正そうとして、やりすぎてしまえば、新しい偏向や損害を招くということ.曲がっているものをまっすぐにしようとして、力を入れすぎて、逆の方向に曲がってしまうという意味から,「枉れるを矯めて直きに過ぐ」とも読み,江戸時代の漢学者たちの素養の中にあった語でした.
中庸第十章の第一節と第五節にも 「強哉矯。」 として何度も出てきます.
中庸 第十章
子路問強。
子曰。
南方之強與。北方之強與。抑而強與。
ェ柔以ヘ。不報無道。南方之強也。君子居之。
衽金革。死而不厭。北方之強也。而強者居之。
故君子和而不流。強哉矯。
中立而不倚。強哉矯。
國有道不變塞焉。強哉矯。
國無道至死不變。強哉矯。
子路が強について孔子に問うた
孔子はおっしゃった
南方の強さのことか,北方の強さのことか,お前自身の強さのことかと.
寛容で柔和な態度を崩さず道理を教え,無道な暴力に報復せずに耐えるのは,南方の人たちの強さである.これは君子がいる境地である.
金革の鎧を寝具とし,死ぬことも厭わずに敵と戦うのは,北方の人たちの強さである.これは武人の強者がいる境地である.
君子は人と調和しても流されてしまうことはない,これが矯とした真の強さである。
中立してどちらにも極端に偏らない、これが矯とした真の強さである。
国家に道が行われていても自分の昔の信念を変えない、これが矯とした真の強さである。
国家に道が行われずに乱れていても,自分自身は善を行うための道を死ぬまで変えない,これが矯とした真の強さである.
※ 矯 ― 剛強の意.
矯矯(きょうきょう) ― 勇武なさま.志の高いさま.(漢書)
漢和辞典 『字通』 より;
矯 常用漢字 17画
[字音] キョウ(ケウ)
[字訓] ためる・いつわる・つよい
[説文解字]
[字形] 形声
声符は喬(きよう)。〔説文〕五下に「箭(や)を揉(た)むる箝(はめき)なり」とあり、矢がらをただす意とする。箭を正すには寅(いん)の字があり、矢の左右に手を加える形で、寅正の意に用いる。矯には曲げる意があり、〔書、呂刑〕に「奪攘(だつじやう)矯虔(けうけん)」(上命と偽って奪う)、〔書、仲之誥〕「上天を矯誣(けうふ)して以て命を下に布く」、〔左伝、昭二十六年〕「先王を矯誣す」のように、事実を偽り枉げる意に用い、寅正とはまた異なる意がある。喬は高楼の屋上に呪飾としての表木を立てる形。高くして驕る意があり、矯とは、強い力で矯め直すことをいう。〔詩、魯頌、泮水〕に「矯矯たる虎臣 泮(宮)に在りて馘(くわく)を獻ず」とあり、矯歯雛Eの意に用いる。
[訓義]
1. ためる、矢をまっすぐにする、ためき。
2. いつわる、力を加えて改める、みだる、もとる、さからう。
3. あげる、たかくする。
4. つよい、たかぶる。
[古辞書の訓]
〔名義抄〕矯 アザムク・マサシ・カタマシク・タム・カザル・ツク・タダス・オコル・イツハリ・アグ・アカル・タケシ
[語系]
矯・驕 ki ô は同声。蹻 khi ô,高 k ô、翹 gi ô も,みな声義に通ずるところがある。
江戸期の学者たちは,儒学の概念として論語や儒教四書から「矯」の概念を深く学び実践していました.明治2年(1869)の法令全書の中にも 「矯正セシム」 という語がみられ,当時の体操伝習所における教本には,「身体姿勢ノ不正ナルヲ矯正シ以テ美容好姿ナス」 ことを身體美容術,あるいは身体矯正術と記されています.
日本で最初に,歯の移動を 「矯正スル」 としたのは小林義直です.ところが,「新編 歯科医学概論 歯科医学とは何か その歴史と哲学(昭和50, 1975年)」 の成書の220項には,「歯科矯正学という用語は明治32(1899)年に,青山松次郎が歯科矯正学を高山歯科医学院講義録の中に書いたのが最初である.」 という一文があります.引用元のないこの一文は,二次史料のまま引用されていることがあり残念なことであり,青山松次郎を歯科矯正の翻訳者とする論文がいくつかみられます.史実をよく渉猟すると,この著書は日本歯科評論(1965年12月号)に連載されていた 「歯科医学概論序説」 をまとめて成書としたものですが,その連載文には,「青山松次郎が... 」 との一文はありません.つまり,書籍出版の段階(1975年)で,出版時に加筆されたこともわかりましたが,その理由は不明です.
また,同時期に,ガレットソンの A System of Oral Surgery: Being a Consideration of the Diseases and Surgery of the Mouth, Jaws, and Associate Parts. 2nd ed. 1873. を河田鱗也と大月龜太郎が共訳し,歯科全書として出版しています.その Chapter XXI. IRREGULARITIES OF THE TEETH.p.478-494. は,第二十一章 齒ノ不整 と翻譯しており,その部分には "Orthodontia" の語が2回でてきます.河田は 「歯の療法」 と翻譯していました.やはり,小林義直の漢学のセンスを感じます.歯科全書は,直訳であったこと,図がなかったことから,難解な翻訳書となり,評判も良くなかった.とのちに青山松次郎が回想しています.
小林義直は,Parreidt, J. 氏の1886年の著書 Compendium der Zahnheilkunde. Zum Gebrauche für Studierende und Aerzte を譯述(現在の翻訳)し,1889年に 「歯科提要」 という書名で刊行しました.当時は歯科の本はあまりないことから大変好評でよく売れたことも記録されています.そしてこの本の中で 「歯列矯正術」 という日本語が始めて用いられました.史実として,「歯列矯正術」 という用語(矯正のはじめての適用)は,Orthodontishe Behandlung というドイツ語から日本語に翻譯されたものです.また,この parreidt パライト氏の歯科学書は,同年に Louis Ottofy 氏によって英語にも翻譯され,その中では orthodontic treatment と英訳され,"A Compendium of Dentistry for the Use of Students and Practitioners" という書名で出版されました.歯列矯正は小林義直によってドイツ語から翻訳されたものでした.
小林義直の略歴や業績は後記しますが,多くの専門書を翻訳しました.歴史の切り口はたくさんあり,時として史実は誇張されたり,歪められたり,あるいはないことにされたりすることさえあることはよくあります.「歯学は私學から」 とか 「歯学は米国から学んだ」 とする定説についても,誇張されていると考えた方がよく,当時の米国ではドイツへ留学して学ぶ人も多くおられ,ベルリンには1,000人以上の米国留学生がいたことも記録されています.小林義直は大学東校を経て内務省で翻訳の仕事をしていました.実は,高山紀齋,青山松次郎,その兄の青山千代次などは,備前福山や岡山の出身で同郷であり,小林義直は同郷の者の面倒をよく見たそうです.余談になりますが,高山紀齋の一番弟子であった青山千代次(歯科移籍第一号)は,安芸廣島で歯科医業を始めました.廣島における歯科医業の嚆矢のはずなのですがまだ記録がなされていません.今の原爆ドーム近くの寺に葬られています.これについては後に詳しく記載いたします.
当時を考証した 「幕末維新期漢学塾の研究(生馬)」 によると,「一度漢学を学んだ学生が外国語を学ぶと発音は悪かったが読書力に至っては,はるかに正則生(外国人から英語を学ぶ)に優っていた」とされています.福山藩にて江木齶水から漢学を学んだ小林義直は,明治期の翻訳プロジェクトにおいて非常に多くの医学書を翻訳しています.史実によると,1855(安政2)年の福山誠之館発会式のおりに,江木齶水は論語を講じており,こうした漢学の素養から 「矯正」 という語をあてたのではないかと推測します.
山直秀氏の翻訳した 『歯科外科医 Chirurgien Dentist(1728)』 にも矯正という語が出てきます.しかし,原文では dérangement des dents 歯の乱れ,mal arranges 位置異常,les dresser 正す,といったフランス語で記述されており,Orthodontia の用語はまだ用いられていません.また,高山紀斎氏の 『鹺てつ(歯失)論』 においても,矯正という語は用いられておらず,irregularity を 「鹺てつ(歯失)」 と翻訳しました.
小林義直は,備後国福山藩の生まれで,高山万太郎(後の紀齋),青山千代次,青山松次郎など,備前・備中・備後の同郷の者の面倒をよく見たとのことです.明治期における文部省国家プロジェクトとして,『百科全書』 など,理系の物理,医学関連の多くの書籍を翻訳しました.晩年,脳症に病み,病床において独逸語の翻訳に取り組んだものが,パライト氏の成書を翻訳した 「歯科提要」 でした.第二版の緒言には,出版後は好評で大いに売れたことが記載されています.すなわち翻訳者によって新たに創られた言葉ではなく,選択され適用された言葉であったと結論されます.矯正という言葉自体は以前からあったものであり,この歯列矯正という翻訳が学術用語として残り,現在に至っています.
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発効年 引用版 | |||||||||||||||
1949 最新歯科学全書 第十三巻 齒科矯正學 第4版 |
初 版 1949 第4版 1953 松風陶歯製造株式会社 編 『最新歯科学全書』 第13巻 永末書店,1953. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2423205 |
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日本の歯科矯正の歴史について始めて記載している.この中に 「我が國における矯正學の専門書としては,大正年間に榎本美彦氏が新纂齒科學講義の中にこれに関して執筆したのが恐らくはじめてではなかろうか.次に寺木定芳氏が...」
とある.しかし,確認できた史料では,寺木定芳氏以前の新纂齒科矯正學講義は,佐藤運雄によるものである.参考文献に年代の記載なく,高橋自身の記憶違いかもしれない. これと同様の例は,正木氏の 「齒科医学概論」 においても見られ,後の読者はそれを信じることが継続し,いつの間にか「言い伝え」や「脚色や偏好された定説」となっている.史料が存在しない場合はそれが正しいことなのか迷信なのかさえわからないことがよくあるのである. ☞ 中原泉,樋口輝雄:検証・歯科医学史の書誌.日本歯史学会々誌 29(3): 183-191, 2012. | |||||||||||||||
1960 新編歯科矯正学 永末書店 |
【出典】 高橋新次郎 著 『新編歯科矯正学』 永末書店 1960. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1378149 | ||||||||||||||
1974 歯科矯正学 第1版 医歯薬出版 |
第1篇 総論 1.歯科矯正学の歴史 (前略) 最後に,わが国における歯科矯正学の発達の歴史について簡単にしるしてみよう. わが国の歯科矯正学は,はじめは主としてアメリカの教科書の翻訳によってその大様が紹介されたに止まっていたが,その技術面が実際に紹介されたのは Angle の矯正塾を卒業した寺木定芳によってである.しかし当時の Angle 法は,主として初期の歯弓拡大法であって,今日の技術革新を経たものとはかなり異なっていた.のち榎本美彦によってAngleの改良された edgewise 法が紹介されたが,その装置方法はまだ非抜歯論的立場をとっていたために多くの支持者を得るにはいたらなかった.一方 Angle 派とは対照的に,より簡単な装置で歯弓や顎の発育を助長しながら歯牙を移動しようと試みる,いわゆる生物学派ともいえる Mershon 派の舌側あるいは唇側弧線装置が岩垣,高橋新次郎等によって紹介され多くの支持者を得,第二次世界大戦前まではこの唇・舌側弧線装置を用いる方法がわが国矯正学会の主流を占めていた.また1940年代には,ヨーロッパの機能学派ともいえる機能的顎矯正法が高橋新次郎によって導入され,急激に支持者を得たが,その技術的限界が知られるに及んで今日では限られた適応症のみ応用されている.これはこの治療法が白人の不正咬合とくに上顎前突にはかなり有効であるにもかかわらず,日本人のそれには応用されにくい一面をもっているからである. 第二次世界大戦後は世界の矯正学会の情報が瞬時のうちにわが国にもたらされ,矯正学に対する多くの新しい基礎研究や,治療面での新しい技術が紹介された結果,わが国の歯科矯正学研究と臨床とは急速な進歩をとげつつある.とくに基礎的な研究では世界のレベルと比較して遜色のない進歩がみられる.これらの研究面と臨床的な技術面との間隙をいかに埋めていくかが明日の課題となるであろう. | ||||||||||||||
1979 歯科矯正学 第2版 医歯薬出版 |
第1篇 総論 1.歯科矯正学の歴史 (前略) 最後に,わが国における歯科矯正学の発達の歴史について簡単にしるしてみよう. わが国の歯科矯正学は,はじめは主としてアメリカの教科書の翻訳によってその大様が紹介されたに止まっていたが,その技術面が実際に紹介されたのは Angle の矯正塾を卒業した寺木定芳によってである.しかし当時の Angle 法は,主として初期の歯弓拡大法であって,今日の技術革新を経たものとはかなり異なっていた.のち榎本美彦によって Angle の改良された edgewise 法が紹介されたが,その装置方法はまだ非抜歯論的立場をとっていたために多くの支持者を得るにはいたらなかった.一方 Angle 派とは対照的に,より簡単な装置で歯弓や顎の発育を助長しながら歯牙を移動しようと試みる,いわゆる生物学派ともいえる Mershon 派の舌側あるいは唇側弧線装置が岩垣,高橋新次郎等によって紹介され多くの支持者を得,第二次世界大戦前まではこの唇・舌側弧線装置を用いる方法がわが国矯正学会の主流を占めていた.また1940年代には,ヨーロッパの機能学派ともいえる機能的顎矯正法が高橋新次郎によって導入され,急激に支持者を得たが,その技術的限界が知られるに及んで今日では限られた適応症のみ応用されている.これはこの治療法が白人の不正咬合とくに上顎前突にはかなり有効であるにもかかわらず,日本人のそれには応用されにくい一面をもっているからである.というのは,日本人の上顎前突の症例では抜歯を必要とするものが多く,この種の症例にはこの機能的矯正装置は,空隙の閉塞や歯軸の整直という点で技術的な限界があるからである.これに反して日本人の幼若者に多い仮性のいわゆる反対咬合には時として著効を発揮することがあるので,症例を選択して用いられる.床矯正装置も限局的な矯正治療に用いられて現在に至っている. 第二次世界大戦後は世界の矯正学会の情報が瞬時のうちにわが国にもたらされ,矯正学に対する多くの新しい基礎研究や,治療面での新しい技術が紹介された結果,わが国の歯科矯正学研究と臨床とは急速な進歩をとげつつある.とくに基礎的な研究では世界のレベルと比較して遜色のない進歩がみられる.これに反して臨床技術面では矯正の専門医標榜が長年にわたって許されていなかったこととも関係して,必ずしも基礎的研究と同じレベルにあったとは言えない憾みがあった.しかし1979年から,専門科名ではないが,歯科の中に ”矯正歯科" という診療科名の標榜が許されるようになったので,臨床面での飛躍的な発展が期待され,現に外国の学会で臨床報告をする者も近年になって増加している.したがって基礎的研究とお間の間隙は急速にうめられつつあるといってよい. ・・・・・ 部 は,第2版への追記分. | ||||||||||||||
1991 歯科矯正学 第3版 医歯薬出版 |
総論 第1章 歯科矯正学の歴史 翻って,わが国の歯科矯正学の歴史を振り返ってみよう.1908年に寺木定芳がアングルスクールを卒業(1906)して帰国したが,当時は矯正患者がほとんどいなかったとのことである.その後,岡田 満が1918に,その翌年には榎本美彦がアメリカより帰国した.寺木は ”歯科矯正学綱領”(1913)を出版し,”歯科矯正学研究”という月刊誌を発効している.また,寺木は東京歯科医学専門学校で歯科矯正学の講義を行い,その後1914年に榎本美彦が担当した.そして実際に附属病院で矯正患者の治療を開始したのは1914年10月と記録されており,その臨床例が1918年4月に開催された第5回日本医学会の第16分科会において”顎間固定法−興味ある転位歯矯正例についての矯正実験模型供覧” として斉藤久により発表された. 高橋新次郎はペンシルバニア大学でムシャーン(Mershon, J. V.)の舌側弧線装置(1918)を修め,1925年に帰国して,文部省歯科病院に勤務し,矯正治療を開始した.舌側弧線装置は Olover, O. A. の唇側弧線装置と併用され,今日では labiolingual system として体系づけられている. 日本矯正歯科学会の設立は,1926年9月で,榎本美彦が初代会長に就任し,1939年まで会長職にあって,学会の基礎を作った.日本矯正歯科学会会誌の第1巻は,第1回矯正歯科学大会記念号として昭和7年4月に刊行された. Angle の教えを浮けた三内多喜治は,松本茂暉(1924〜1927,Angle school )が帰国すると,日本赤十字社病院矯正室を作り,彼にAngle学派による矯正治療を行わせた.松本はその後いわゆる松本式矯正法として,日本中の開業医に対して講習会を行うなど矯正治療の普及に努めた. 以上,わが国の歯科矯正学の創設期のことについては,日本矯正歯科学会50周年記念特集”座談会—創設期を振り返って—”より一部引用した. 第二次世界大戦による空白時期の後,・・・・・ | ||||||||||||||
2001 歯科矯正学 第4版 医歯薬出版 |
T編 総論 1章 歯科矯正学の歴史 さて,わが国における歯科矯正学の歴史であるが,1908年に寺木定芳がアングルスクールを卒業(1906)して帰国し,矯正歯科臨床を行った.その後,岡田 満(1918),榎本美彦(1919)が米国より帰国し,1914年に寺木が行っていた東京歯科医学専門学校の歯科矯正学の講義を引き継いだ.その臨床例は1918年の第5回日本歯学会第16分科会で”顎間固定法−興味ある転位歯矯正例についての矯正実験模型供覧−” として斉藤 久が発表した. また,高橋新次郎はペンシルバニア大学で Mershon の舌側弧線装置(1918)を習得し,1925年帰国し,文部省歯科病院で矯正治療を開始した.舌側弧線装置は Olover, O. A. の唇側弧線装置と併用され,Angle の流れをくむ榎本美彦らの機械的矯正治療とは対照的に,より簡単な装置で歯列弓や顎の発育を助長しようと試み,いわゆる生物学派であり,多くの支持者を得,第二次世界大戦まではこの唇舌側弧線装置を用いる方法が,わが国矯正歯科界の主流を占めていた.また,1940年代には機能的矯正装置として Andresen と Hauple (1936)により開発されたアクチバトール(FKO)を用いた”機能的顎矯正法”を高橋新次郎が導入し,かなり普及したが,その適応症に限界があり,その後,主として Angle T級の反対咬合患者の矯正歯科治療に用いられるようになった. 第二次世界大戦後は,・・・・・・ | ||||||||||||||
2003 | 花田晃治 「日本の矯正歯科学の歴史」 掲載にあたって 日本の矯正歯科学の歴史」掲載にあたって」 Orthodontic waves: 日本矯正歯科学会雑誌 62(2) 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10631625 鈴木祥井,石川富士郎,大野伴粛英 日本の矯正歯科学の歴史(T)序.Orthod Waves 62(2): 75-95, 2003. 日本の矯正歯科学の歴史(U)第2章 大正デモクラシー下のわが国の矯正歯科学 Orthod Waves 62(2): 96-122, 2003. 日本の矯正歯科学の歴史(V)第3章 日本矯正歯科学会の草創期(1926〜1936)Orthod Waves 62(5): 279-310, 2003. 日本の矯正歯科学の歴史(W)—発展期から現在まで— 日本矯正歯科学会の組織と構成 Orthod Waves 62(5): 311-331, 2003. ☛ 歴史には様々な切り口や視点,未発見の史実もまだ多く残されている. |
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日本の矯正歯科学の歴史(T)p.78 には, 『 この高山がアメリカ式歯科教育を目指して東京府の認可を得て1890(明治23)年1月18 日に設立した 「高山齒科醫學院(注5)(現・東京歯科大学)」 では,同年10月から毎月1冊のペースで 「高山齒科醫學院講義録」(第1版,図4)を発刊した 8).これは1892年の9月まで続いた.その 「齒科…班」〔注6)のなかで,歯科矯正学の部分を青山松次郎(別掲)が執筆している.岩垣によれば,これが日本における「齒科矯正學」という用語の使われ始め 9),といわれる.しかしその1年前(1889年),パライトの著書を翻訳した小林義直の 「齒科提要」(注7)(図5)にすでに 「矯正」 という語がでている 10).』 という記述があるが,史料を検証すると,岩垣の説は1次史料によって検証されたものではなく,間違いであることがわかった. 過去の座談会の発言などで,その出席者の 「.....と思う」 といったことを根拠にして,「〇〇によれば,....... 」 という間接的引用は,引用や史料批判としてあってはならないものである.自分自身で1次史料を確認することの大切さは,歴史認識に偏りの生じる理由として坂井氏が述べていることを参考にされたい. | |||||||||||||||
2008 歯科矯正学 第5版 医歯薬出版 |
T 歯科矯正学の歩み 8 わが国における歩み 転じて,わが国における矯正學の歩みについて一顧してみると,まず歯科の最初の教科書とされる高山紀齋の著書(1881)に 「蹉跌論」 として不正咬合についての記載がわずかにあるが,実際の矯正の治療技術を最初に伝えたのは,Angle スクールを卒業し1908年に帰国した寺木定芳である.その後も榎本美彦によって,拡大装置を主としたいわゆる器械派の装置が紹介されるが,多くの支持を得るにはいたらなかった.Mershon の講義を留学先で聴いた高橋新次郎は,1925年に帰国し,いわゆる自然派のラビオリンガルテクニックを岩垣 宏とともに伝え,広く浸透させた.加えて,高橋は1940年代にヨーロッパよりアクチバトールを導入しているが,戦時下の社会情勢にあってか,十分な普及にはいたらなかった.戦時中,米国からの器械派を軸とした情報は一切が絶たれる状況となったが,戦後を迎え,ライトワイヤ―テクニックとして,Begg 法や jarabak 法が導入された.しかし,そのライトワイヤ―ブームも次第に下火となり,エッジワイズ本来のテクニックが再燃することになる.ただし,わが国の臨床の特徴として,器械派的な手法ばかりでなく,戦前,戦後から踏襲されてきた自然派や機能派の考え方が,底流にあるように思われる. | ||||||||||||||
長年にわたり,日本の歯科矯正学の歴史は,寺木定芳から始まっていたが,この第5版から,高山紀齋の 「鹺跌論」 (教科書の蹉跌は鹺跌の間違い)が登場する. 後記した坂井氏の指摘するように,現代医学のルーツやパラダイムの変換点を探し求める遡及的医学史では,医学の発展・進歩の真の姿を描くことはできないだろう境その著書名はまだ記述されていない. | |||||||||||||||
2019 歯科矯正学 第6版 医歯薬出版 |
II・2 日本における歯科矯正学の発展の歩み 歯科矯正学の日本における夜明けは明治に入ってからである.高山紀齋は1872(明治5)年から私費で渡米し,歯科医学を修めて1878(明治11)年に帰国した.そして開業のかたわら 『保齒新論』 を著した.その中に 「蹉跌論」 <注:原文のまま.蹉跌論は,鹺てつ(齒に失う)が正しい>の記載がある.これが現在の不正咬合論に当たるものであり,日本における歯科矯正学の夜明けと考えてよいだろう.高山は 1890(明治20)年に高山齒醫学院(後の東京歯科大学)を創立した.その後,血脇守之助に移譲され東京齒科醫学院と名称が変わったが,引き続き講義録が改訂,出版されていった.その中で歯科矯正学に関しては,青山松次郎,血脇守之助,佐藤運雄,榎本美彦らが執筆している.一方で 1909(明治42)年に認可された日本齒科醫學専門学校(後の日本歯科大学)における講義録の中で 「齒科矯正術」 を著したのは高島多米治であった.また日本で最初に著された歯科矯正学の成書は小笠原泰民の 「鹺齒矯正術」(1900)であるとされている. | ||||||||||||||
高山紀齋の著書名 「保齒新論」 が登場する.その中の 「鹺跌論」 が,現在の不正咬合論に当たることが紹介された.高山齒科醫学院の創立,青山松次郎による講義録も記述されている. 【 保齒新論 の著者はだれか? という問題.和本の編著の役割について 】 しかし,保齒新論は,高山の著作物ではなく,編纂されたものである.トーマス氏 比較解剖書 / オーウン氏 齒牙論 / カーレットソン氏 口科全書 / ハーレイ 口内外科書 / ヲーハア氏,ガブレイ氏 齒病書 ところが,後の書誌研究によって,樋口らは保齒新論は1879年に米国で出版された The mouth and the teeth, Series Title(s): American health primers. / by White, James William, 1880. を翻譯したものであり,最後に「お歯黒」に関する章を付け加えたものであることを報告した. 山自身も「著」 ではなく,「述」 を使っていることから,今でいう創造性がある著作物と認定することはできるだろうか? 史学における史料批判としての検証は欠かせないものである. 纂(さん) :集めてそろえる.編集する 著(ちょ) :書物にあらわす.内容に創造性があり,書き手が責任を有する.著述. 述(じゅつ):述べること.述べたもの.人の言行を記述したもの. 著述:書物を書きあらわすこと.著作. 編纂/纂述:いろいろの材料を集め,整理・加筆などにより書物にまとめる. 翻譯/共譯/〇〇氏著/譯述:翻譯したもの 筆記/口述ノ筆記:誰かの講義を記したもの
☛ 参考:編著の役割と用語. 橋口侯之介:和本入門 千年生きる書物の世界.p.145- 平凡社ライブラリー 2011. 以下のリンクから各自で実際に比較確認されたい. ● 保齒新論:鹺跌論 高山紀斎 著 『保歯新論』 下,有新堂,明14.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836566 ● 翻譯された原本: The mouth and the teeth. / by White, James William, 1826-1891. ©1879 Irregularities of the teethを 『鹺跌』 と翻譯. 編纂の参考にしたという 「ガレットソンの口科全書」は,後に河田麟也によって 「歯科全書」 として翻譯出版された.この中に orthodontia という語もあり,河田麟也はこれを 「齒の療法」 と訳している.歯科全書の中での「歯の不正」の章は大変長いし詳しいのに比べれば,保齒新論はあまりにも簡単な冊子である.したがって orthodontia を始めて翻譯した日本人は,河田麟也であり,これに 「矯正」 という語を適用させたのは後の小林義直ということになる. The mouth and the teeth を直訳した保齒新論は,その事実を記載していなかったのであるがどう評価すべきだろうか.日本の歯科矯正の始まりとするのはいかがなものであろう. 樋口輝雄: "The Mouth and the Teeth" 初版本(1879) と 『保齒新論』(1881) について. 日本歯科医史学会会誌 23(1) 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11496481 (参照 2024-10-15) | |||||||||||||||
2024 歯科矯正学 第7版 医歯薬出版 |
第1章 歯科矯正学の定義と歴史 I・1 歯科矯正学の語源 「矯正」の語源には,曲がったものをまっすぐにするなどの意味をもつ「矯(た)める」が含まれている.わが国の教科書では,1891年に青山が初めて 「歯列矯正術」 と記載し,1906年に血脇が 「歯科矯正学」 を独立した教科とした. 欧米では,まず1841年のフランスで,ギリシャ語の 「正しい」 ορθος ,と 「歯」 οδους の2語に由来する "orthodontia" と表現された.その後,1849年にアメリカで,Harris が教科書に "orthodontia" と記し,1908年にはイギリスの Oxford 辞典に ”orthodontics" と収載されて現在に至る. | ||||||||||||||
@ 日本歯科医史学会による 「歯学史研究 第一巻(1969)」 には,昭和42年4月15日(土)午後2時より日本大学歯学部大学院小会議室にて開催された 第4回集談会(4月例会)の抄録が載っている.開催演題は,「日本に於ける矯正歯科史について」 である.その中で,岩垣宏 氏が,「日本における矯正歯科史」 について発表し,抄録に 「歯科矯正学という用語は,従来佐藤運雄が最初といわれていたが,明治23年に青山松次郎が歯科矯正学を高山歯科医学院講義録中に記述しているのが最初であろう.」 と書かれている.おそらくこの部分が多くの引用元となっている 「岩垣によると,」 という部分であろう.同じ項に講演後の質疑も載っており,明治42年に寺木定芳が帰国する以前,明治25年に榎本積一氏が症例報告をしていることが追加発言されている.しかし,実際の原典史料を渉猟し確認しても,「歯科矯正学」という言葉はない.この時期は,歯列矯正術から歯科矯正学として学問が成立しつつあったじだいであるため,昭和42年の岩垣の時代から見たときに,講義録の記述が歯科矯正学に該当する内容であったことを述べたに過ぎないと解釈すべきである.これがいつの間にか,講義録の中に「歯科矯正学」という用語が初めて記述されたと誤解されたのであろう. A 「1906年に血脇が「歯科矯正学」を独立した教科とした」 について; 1906年に医師法,歯科医師法が制定され,同時に公立私立齒科醫學校指定規則が定められ,文部科学省令第17號にて,その指定を為すべき授業内容として,必修科目:解剖學,生理學,病理学総論,診断学大意,薬物学,細菌学,外科学総論,歯科学を定め,歯科学の課目として,@歯科病理学,口腔外科学,歯科治衛學,歯科技術學,矯正歯科學を備えること.教員数や学生数に応じた患者数などの条件が法令で定められた.この法令を遵守するために,東京齒科醫学院においても授業内容に 「歯科矯正学(法令では,矯正歯科學)」 が独立の課目とされたのである.こうした政策・医療制度上の社会背景を知らない学生にとって,血脇が... という記述ははたして適切といえるだろうか.☞ 1906年の項:官報10月30日 文部省令第17號 を参照. 榎氏が第2版で指摘していたこと,基礎研究と臨床技術面の憾み,すなわり医学の社会への適用,歯科矯正学を国民へ公平に配分するという 矯正歯科医の社会的使命 はうめられているだろうか,格差なく国民にとって公平な歯科矯正医療は達成できているだろうか.われわれ歯科界,歯科矯正医はすべての国民のために自問自答すべき喫緊の社会課題である. 【まとめ】 @ 日本における歯科.その中で歯の移動という学問としての歯科矯正の歴史は,著者によってその始まりとするところに定説がない. A これは,樋口・中原らの指摘するように,歴史における恣意的な過大評価,偏見や過信,先人たちへの感情移入による陥穽とされる. B 成書に書かれていることは,疑ったり疑問を持つことは学生には困難であり,これが定説の誤りの連鎖となっていた. C 一次史料(原典)から確認すると,以下のようになる. 歯科矯正 〇〇 の嚆矢(日本) - - 知識として @ 記述 の 嚆矢:太 安万侶(712 和銅5 )古事記; 波那美波 志比斯那須(歯並は椎や菱のごとく) A 翻譯 の 嚆矢:土岐 頼徳(1872 明治5)啓蒙養生訓;齒列整はぬときの抜去 B 翻譯 の 嚆矢:横瀬文彦/阿部弘国(1873 明治6)西洋養生論;歯列(ハナラビ)の用語 C 翻譯 の 嚆矢:小林 義直(1875 明治8)四民須知養生浅説;歯列不整の用語 D 翻譯 の 嚆矢:松本順:閲・澤田俊三:譯(1876 明治09)育児小言;a double teeth を「八重歯」 と訳した. E 翻譯 の 嚆矢:高山 紀齋(1881 明治14)保齒新論;irregularity of the teeth を 「齒牙鹺跌」 と訳した. F 翻譯 の 嚆矢:河田鱗也と大月龜太郎 (1885 明治18)歯科全書;orthodontia を 「歯の療法」 と訳した. G 翻譯: 矯正の嚆矢:小林 義直(1889 明治22)歯科提要;orthodontishe behandlung を 「歯列矯正術」 と翻訳. H 講義 の 嚆矢:青山松次郎(1890 明治24)高山齒科醫學院講義録 「齒の不整」 - - 実践として I 演説 の 嚆矢:榎本 積一(1892 明治25)亂排齒矯正術(16歳女)の矯正例.(現在の症例報告か?) J 論文報告の 嚆矢:八百枝康三(1896 明治29)鹺跌矯正ノ實験 K 学会発表の 嚆矢:佐藤 久 (1918 大正7) ということが一次史料から確認された. <今後の社会への適応として検証すべき課題:> ☛ ある国,ある地域の,ある時期や時代において,各国,各地域における不正咬合の疫学的調査では,どの調査においても,医学的に治療を要する歯列不正の発現率は40-50%程度である.しかし,日本の学校健康診断における咬合・歯列の健康診断の発現率は4-5%(県によっては10%以上もある)はなぜか? 判定基準が世界的な基準(IOTNやSalzmann index など)とは異なる日本独自の主観的直観による基準(3段階法)という調査者間の経験値の違いが大きな原因であろう.日本人の歯列不正の発現率が低いのはなぜか? また,歯科疾患実態調査では,長年にわたり,総務省統計法による法的に定められている疾病分類が,厚生労働省では実施されないのはなぜか? 結論として,日本の歯科矯正医療,その社会への適用はまだ始まったばかりである. また,歯科矯正は医療か?という質問もよく受けるが,本人の心の持ちようである.歯科矯正医療は,「健康で文化的な最低限度の生活」 に必要ないと考える歯科医は美容医療と考え,経済的理由で歯科矯正医療を受けることができない本当の患者,歯並びによる苦悩やいじめからないにあう児童生徒の心情を思う気持ちがある歯科医は医療と考えるのであろう. 日本国憲法 第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 A 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 |
身体の姿勢を正す(美容好姿)ための整美のための徒手体操として 「身體矯正術(身體美容術)」 も古くから用いられていた.あるいは,「矯正施設」 や 「非行を矯正スル」 といった用例,「視力矯正」など.渉猟した限り,明治2年の法令全書に 「弊風を矯正セシム」,1882年には 「身体矯正法」 が全国の尋常小学校などに配布されている.いわゆる ラジオ体操 の全国普及も始まっていました.
岩波書店 広辞苑 第4版 p.670
きょう-せい 【矯正】 欠点をなおし,正しくすること.「歯並びを―する」
―・いん【矯正院】
―・きょういく【矯正教育】
―・じゅつ【矯正術】@身体の姿勢を矯正するために行う徒手体操.A機械的作用を応用して,人体骨関節系の運動障害または変形を手術せずに矯正する術
―・しょぶん【矯正処分】
―・やく【矯正薬】
出典:
(上左)
『新制体操法』 体操伝習所 明15.6.(1882)
国立国会図書館デジタルコレクション
(上右)
増田正章 編 『尋常小学生徒戸外遊戯法』 下 開発社 明20.4.(1887)
国立国会図書館デジタルコレクション
小学館 大辞泉 第1版 p.693
きょう-せい 【矯正】〘名〙スル 1⃣ 欠点・悪習などを正常な状態に直すこと.「発音を―する」 「歯列―」 2⃣ 刑務所・少年院などに収容されている人たちの改善更生のための処遇を行うこと.従来の「行刑」に代わって用いられている語.「―施設」 「―職員」
―いん【矯正院】
―きょういく【矯正教育】
―じゅつ【矯正術】四肢の変形などを,機器を用いて矯正する術.また,身体の姿勢を正すための徒手体操.
―しりょく【矯正視力】
―ほご【矯正保護】
―やく【矯正薬】
以上についてまとめると,矯正という言葉,「矯正術」,「矯正セシム」 や 「補綴セル」 という日本語は,漢学に由来した言葉であり,日本国にイーストレーキ氏が西洋歯科醫術を伝える遥か以前,中国大陸における後漢初期(西暦25年〜250)に書かれた春秋戦国時代の吾と越に関する書物 『越絶書』 の 「越絶篇叙外伝記」 にまで遡ることができます.
『康煕字典』 より
【さてつについて; @ 鹺跌 と A 鹺てつ(齒失)
】保齒新論では, 「鹺跌」 と訳されているが,
講義録では, 「鹺てつ(齒に失と書く)」 が用いられている
※ 鹺跌は,iregularity の訳語である.
A History of Dental and Oral Science in America. / by James E. Dexter 1876. P.108-
本書は,米国歯科科学会 American Academy of Dental Science がとりまとめ,
p.108-111 に IRREGULARITIES(齒の不正)の記述がある.
この全文を直訳したものは,高山歯科醫学院講義録第六巻に 「歯科学術沿革史」 として転記されている.
☛ 高山齒科醫学院講義録(歴史)鹺てつ(齒失)は p.251-258
『高山歯科医学院講義録』 第6巻,p.251 高山歯科医学院,〔 〕.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/836548
1728年 Pierre Fauchard(1678-1761)
dérangement des dents 歯の乱れ / mal arranges 位置異常 / les dresser 正す
1841年 J. Lefoulon
歯の配列の異常を orthodontosie と述べた.
1844年に,Thomas E. Bond, jr. は,Orthodentosy と英語に翻訳した.
1849年 Chapin A. Harris
歯科医学辞典を編纂し,以下の定義を記述.p.558
ORTHODON'TIA. Dental orthopӕdia; from ορθος, straight, right, and οδους, a tooth. That part of dental surgery which has for its object, the treatment of irregularity of the teeth. See Irregularity of the Teeth, treatmeot of.
ORTHODON'TIC. Relating to the treatment of irregularity of the teeth.
ORTHOPÆDl'A. From ορθος, straight, right, and παις, a child. The
ORTHOPED'IC. Relating to orthopӕdia.
Irregurality of the teeth. は別項参照.
日本国 では; - - - - - - - - - - - - -
0712年.太安万侶は,波那美波 志比斯那須(歯並を椎や菱)と例えた.齒黒.
1872年.土岐頼徳は,齒列整はぬときの抜歯と翻譯
1873年.横瀬文彦・阿部弘国は,歯列(ハナラビ)と翻譯.
1875年.小林義直は,
irregular を 「歯列不整」 と翻譯.1876年.松本順・澤田俊三は,
double teeth を 「八重歯」 と翻譯.Irreulaityof the Teeth:
1881年.高山紀齋は,「齒牙鹺てつ(齒に失う)」 と翻譯.
1885年.河田鱗也は,「齒の不整」と翻譯.
Orthodontishe Behandlung(英;orthodontic treatment):
1885年.河田鱗也は,orthodontia を「歯の療法」と翻譯.
1889年.小林義直は,「齒列矯正術」 と翻譯.
1892年.高山紀齋は,「鹺てつ(齒に失う)療法」 という用語を用いた
1900年.小笠原泰民は,「鹺齒矯正術」 という用語を用いた.
【まとめ】
1. 歯並びや姿勢は,わが国においても古代より対人関係において重要なものであった.
2. 「矯正」 という日本語は漢学に由来し,その概念はずっと以前から存在し,日常的に使用されていた.
3. 歯科矯正に関する訳述は,1872年の 「啓蒙養生論」 が嚆矢とされる.
4. 鹺てつ療法,歯列矯正,鹺齒矯正 といったいくつかの候補中から,しだいに選択され,現在に至った.
5. 漢学の素養があった小林義直によって考案適用されたものが,現在に至り選択され使用されている.
6. 歯科の教科書は,ドイツ語や英語の書籍の直訳,抜粋抄録,翻訳したものが多く出回っていた.
ここでは、これらの課題に入る前提として、日本の近代化の過程において、近代西欧起源の「学問」を受容・継受した、いわゆる「輸入」したという歴史について一言触れておきたい。重要なことは、その時期が、欧米において「学問」が概ね専門分化を遂げた直後の19世紀後半であったという事実である。特に、日本が受容した欧米の人文学及び社会科学とは、知の全体としての総合性や体系性を保とうとする「学問」というよりも、西洋社会において専門分化を遂げた「個別科学」であったのである。おそらく、このような歴史的な経緯が、その後の日本の「学問」の在り様を規定していると考えられる。このことは、「サイエンス」の訳語として、専門分化を前提とした「科の学」としての「科学」という日本語が当てられたということにも現れていると言ってよい。
このように、西洋社会において専門分化を遂げた「個別科学」を受容・継受したことが、結果的に日本の人文学及び社会科学の展開の中で、人間、社会、歴史、文明といったものを俯瞰しつつ総合的にとらえる視点の確立を阻害する要因として作用した可能性を考えることができる。この問題は、一種の歴史的な宿命と言わざるをえないものであるが、日本の「学問」の在り方を考えるに当たり、踏まえておくことが必要な視点と考えられる。
海外から日本へ受容された,あるいはされなかった歯科矯正の著作物.
歯科矯正の社会的受容への障害となった歴史的宿命について
出版年 |
和書名 |
編著の役割 と |
原書 / 著者名 | ||
BC460 | 377 弥生時代 | - |
Hippocrates
BC460〜377 |
Hippocrates, BC460〜377
成書4)によると,顔面の変形の中で歯の叢生について最初に記述した人物は,古代ギリシャの医者ヒポクラテス(Hippocrates, BC460〜377)とのことです.しかし,その文章は,”Among individuals whose heads are elongated, some have a big neck and strong members and bones; others have an arched palate, teeth arranged in an irregular fashion, topsy-turvy, and they suffer from headache and otorrhea.(英訳)” と記述され5),残念ながら二千年前で実際の実物出典6)を確認できませんでした.歯が凸凹しているという記述でのみです. | ||
BC25 | AD50 |
- |
Aulus Cornelius Celsus
BC25〜AD50 |
Aulus Cornelius Celsus, BC25〜AD50
当時の書物は,パピルスや羊皮紙に記録されたもので,複製するには書き写しするしかありません.複製を多く作る場合は,誰か一人が書を読み,複数人がそれを聞きながら書くという手法のため,書き間違いが起こります.こうした時代に新しい知識や発見・思想を,異なる遠い地域に広く啓蒙し伝えるということには,大変な年月を要しました.このケルススの書も1478年(グーテンベルグによる活版印刷技術の発明後)になって初めて印刷されました.今日ではこうした「古書」のデジタル化により,いつでも誰でも自宅で読むことができます.本文にハイパーリンクリンク処理をしています. | ||
604 645 672 701 710 |
十七条の憲法 大化の改新 壬申の乱 大宝律令 平城京遷都 | ||||
712 和銅5 |
古事記 | 太安万侶 |
「古事記」は712年に太安万侶によって献上された日本最古の歴史書.天武天皇に仕える稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗誦していた 「天皇の系譜」
と 「古い伝承」 を書き留めて編纂されたものとされ,「誰が何をしたか」 に重点を置いて書かれているのが 古事記 の特徴. 序文: 日本神話が書かれた: 「上巻」 15代応神天皇の時代までを書いた: 「中巻」 16代仁徳天皇〜33代推古天皇までを記録した: 「下巻」 の3巻からなる. 古事記の中に歯並(波那美)について書かれている. 応神天皇が道端で見止めた娘に声掛けし翌日に詠んだ歌..... 一時、天皇越幸近淡海國之時、御立宇遲野上、望葛野歌曰、 知婆能 加豆怒袁美禮婆 毛毛知陀流 夜邇波母美由 久爾能富母美由 故、到坐木幡村之時、麗美孃子、遇其道衢。 爾天皇問其孃子曰「汝者誰子。」 答白「丸邇之比布禮能意富美之女、名宮主矢河枝比賣。」 天皇卽詔其孃子「吾明日還幸之時、入坐汝家。」 故、矢河枝比賣、委曲語其父、於是父答曰「是者天皇坐那理。 此二字以音。恐之、我子仕奉。」云而、嚴餝其家候待者、明日入坐。 故獻大御饗之時、其女矢河枝比賣命、令取大御酒盞而獻。於是天皇、任令取其大御酒盞而、 御歌曰、 許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 余許佐良布 伊豆久邇伊多流 伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 志那陀由布 佐佐那美遲袁 須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母 波那美波 志比斯那須 伊知比韋能 和邇佐能邇袁 波都邇波 波陀阿可良氣美 志波邇波 邇具漏岐由惠 美都具理能 曾能那迦都爾袁 加夫都久 麻肥邇波阿弖受 麻用賀岐 許邇加岐多禮 阿波志斯袁美那 迦母賀登 和賀美斯古良 迦久母賀登 阿賀美斯古邇 宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 伊蘇比袁流迦母 本居頼長の解釈:歴世女装考 ㉑ 御歯黒の起原 ○古事記に応神天皇人皇十六代近淡海国越幸時木幡の村に到座其道 衢にて比布礼の意冨美が娘・矢河枝比売といふ顔美嬢子を見玉ふて 家など問せ玉ふて其明日比布礼が家に入坐て御酒■を矢河枝比売に玉ふ 時の御哥に」長哥也略「・美知尓阿波志・歯ならひ也比比斯那須中略麻用賀岐許 迩・加岐多礼」書物をこくつくるなり下略・さて此「波那美波志比比斯那須」といふ言を 本居大人が[古事記傳]巻三十の四十二丁に註して曰「波那美波志は歯並■にて歯の 並生たる嘴といふことなり・比比斯那須は菱如也比の字一ッは若くは衍か中略・さて此 魚の歯の勝て利由なり中略菱は云々鋒の如く甚く尖りて刺突物なる故に 歯の鋭に譬給へるなり中略契沖此二句を歯並者如椎として斯は助字なり歯 並のうつくしきこと椎をならべたるが如しとなり・詩云・歯如瓢犀これ似たることなり・と云 て此嬢子の歯のことくしたるは非なり又師も百伝師とは真淵也同其意にて志比比は下の比は 濁りて美に通ひて椎実かと云れたるもわろし先是若此嬢子の歯をほめて 詔るならば眉画の次にこそあるべけれ此に在てはいか>゛也其故は先づ眉と歯とを云むに 次第も眉は先に歯は後にあるべく又たとひ其れは歯を先に詔ふとも若然らば先なる 方にこそ序の詞はあるべきことなかに先なるには序なくたふとた>゛歯並はと詔ひいで> 返りて後なる眉に長き序は初にこそあることなれ左右に是を嬢子の歯にしては 俄に出たるこ>ちぞするたとひひ上は一ッ御哥ならんにても歯は・なほ俄なり且斯の助字も 甚穏ならず決て助字を置べき処には非るをや」以上本居大人の説なり・そも>本居 宣長大人は天下にゆるされたる博達にて此大人の著書の為に御国学びに於て 益を得ると趙壁を得て闇夜を照すが如しおのれ百樹此大人を師とせざりし を常に悔此ゆゑに此大人の著述は我かならず拝して読・其多かる中にも件の 古事記傳は学力を竭されたる物なれば一言半句といへとも金玉の響あれば誰か感 伏せざらんや然るに我が浅学の布鼓をならして博達の雷門を過んは甚愚魯 けれどかの「歯並は菱如」の説に於て窃に謂へらく・そも>応神天皇の件の御哥は 山城国宇治郡木幡村の衢にて丸迩と云所の比布礼の意美といふ人の女矢河枝 姫といふ美人に行遇ひ玉ひしによびと>゛め玉ふて名も住所も問ひ玉ふて明日還幸の 時は汝が家に入御と詔ひて入御ありし時御肴に奉りたる蟹によそへてはる>゛ こ>にいたりまししことをも・きのふかしこにて姫にゆきあひ玉ひしことをものたまふて姫の 麗美を称玉ひし御哥なり・さてきのふ姫が天皇にゆきあひたる時のすがたを古書にあて> 推量するに白き衣赤き裳髪は垂髪べにもおしろいもなき世なれば赤土を頬にぬりて 假粧とし 上古の粧ひはへにおしろい の条にくはしくのふべし 他行の時なればかならず淤須比此事うちかけの所にくはしくいふべしといふ物の 布にて作りたるをかぶりて頬にはほのかにてありしならん・さて件の御哥に姫が歯の ことを先をし眉を後に詔ひたるを前にしるしたる如く大人不審せられしかどおのれ 浅学ながら心をふかめておもひはかるに天皇路にて姫にゆきあひ玉ひ姫がゆき過たる うしろすがたのた>゛ならぬに御目とまりてよびと>゛めさせ玉ひし時ふりかへりたる淤須比の はざまよりみえし御もと歯並も美しくさて住家など問はせ玉ふ時は眉を濃くひき たるをもよく御らんじつけいよ>美人なれば入坐玉はんおほせもありしならんさるから にきのふ御らんじたるま>に次第して「みちにあはししをとめ・うしろでは・をだてろ かも・はなみはし・ひ>しな次・まよかきこに・かきたれ」と第一にうしろすがた第 二に御もと第三にまゆいづれも艶しかりしゆゑ今日こ>へ入坐てよくみればいよ>うつ くしとての御哥なれば歯を眉の先にほくは不審とほもはる>・さて又御哥に「波那 美波斯比比斯那須」一ッの比を衍文とすることさもあるべし・はなみを歯並は もちろんなり・ひしなすを契沖真淵両大人の説をわろしとせられて菱如とあるは 論なけれど「菱は鋒の如く甚く尖りて刺突物故に歯の説にたとへ玉へるなり」と いひ其前にも「丸迩てふ地名を鰐魚に取りて此魚の歯のすぐれて利由なり」と いはれたるはいかがあらん此姫の歯菱の如く尖り鰐魚の歯のごとくあればいかでか麗美 嬢子とて天皇の御意にかなふべきかの路にて口つきを御らんじたる時こは鬼娘かと て逃さり玉はんされば歯並は菱の尖りたるを賦せ玉ひたるにはあらじ「波那美波斯・ 比斯那須」と歯並は菱の如く光澤なりとて黒歯したるつや>かなる歯を菱に 準て称美玉ひたるにはあらざるか然おもふよしは此応神天皇の御世西土は西晋 の始祖武帝が世にて日本をさして黒歯といひたる件の漢籍どもは此武 帝が時より以前の物なれば応神天皇の御世にも黒歯する風俗はありし ならんされば此矢河枝姫もはぐろめしつらんとぞおもはる>是則「比斯那須」 を黒歯ならんとするの本拠なりさて山海経は巻九に黒歯国の事みゆ夏の禹王が作と 西土にて古くいひつたふるは信がたされどまづ禹王が作とすれば御国は■■ 草■不合尊の御世なり此頃に作りたりといふ山海経を証とすれば黒歯 は神代よりの風俗ともいふべけれどさにはあらじとおもふ一証あり此応神天皇より 御四代前景行天皇の御時熊曽・建るといふ二人王命にしたかはざるを王子に碓 命御父景行天皇の命によりて御一人にてかの二人を討に行せ玉ふに御歳十 六の時なりければ御ン鬚は生ざりけんそれゆゑにや此王子のちに日本武尊とや御身のたけ一丈と 古事記に見ゆ女子の服飾に易玉ふ事を[古事記]景行天皇の巻に御髪をも乙女 のさまにゆひかへ玉ふ事などまでは巨細にしるしあれど黒歯し玉ふことはみへず 依ておもふに此時かの者を欺得て討玉ひしはかれら女をあつめて酒宴する席へ つらなり玉ひしを乙女とおもひて戯れたる時の事なれば此比及の婦女はぐろめする 風俗ならば必はぐろめし玉ふ事をも古事記にあるべきをさらにみえざるを以て推量 すればまへにいひたる漢籍どもに黒歯といひしは今の如く天下翕然の風俗にはあらざり しか・なに>まれ和名抄にみへたれば千年以上より婦女の黒歯したる事慥なれば今錦 殿蓬匆婦女として必ず歯を染るはいと>古き風にぞありける・猶七八百年まへに ありぬる歯黒めの事どもはつぎ<にいはまし 岩瀬百樹 編撰
『歴世女装考 : 4巻』 冬 藤井利八 刊.
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1879503
現代語による解釈として:この娘の歯並は椎や菱のごとくであるから,白く美しいなどではなく,「歯黒」をした真っ黒な八重齒に亂排齒のように尖った犬歯が出ていたというのが正しい解釈であろう.しかし当時は,こうした齒並を美しく惹かれるのであるから,現代の白く整った歯並を美しいとする泰西の概念とはまったく異なるものであったことがわかる.これを理解したうえで,白く美しい歯並びであったと現代語訳されているのであろう. お歌 歯並 https://youtu.be/REHocluigKQ?si=FF3YlOsEuTK3xIV8 https://youtu.be/REHocluigKQ?si=fccg_MT1mluHj2sb&t=6615 1:51:00 | ||
720 養老4 |
日本書紀 | 舎人親王 |
古事記に続いて720年には 「日本書紀」 が完成. 舎人親王(とねりしんのう)らの手になるもので, 「いつ,何があったか」 をポイントに,年代順に出来事を記録しています. 日本書紀のあとを受けて, 「続日本紀」 「日本後紀」 「続日本後紀」 「日本文徳天皇実録」 「日本三代実録」 と同じ形式の歴史書が作られ,この6つの歴史書をまとめて 「六国史」 と呼ぶ. NHK for School より引用. https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005403022_00000 | ||
1530 享禄3 |
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16世紀初頭にはじめてドイツ語で書かれた歯科啓蒙書について(その1) −Zene Artzney(歯のおくすり)の書誌学− 森山徳長:日本歯科医史学会会誌 13(4): 189-196, 1987. 国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495148 16世紀初頭にはじめてドイツ語で書かれた世界最初の歯科啓蒙書について(その2) −Zene Artzney(歯のおくすり)の和訳(1)− 森山徳長 日本歯科医史学会会誌 13(4):197-201, 1987. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495149 16世紀初頭にはじめてドイツ語で書かれた世界最初の歯科啓蒙書について(その3) −Zene Artzney(歯のおくすり)の和訳(2)− 森山徳長:日本歯科医史学会会誌 14(3):234-237, 1988. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495277 16世紀初頭にはじめてドイツ語で書かれた世界最初の歯科啓蒙書について(その4) −Zene Artzney(歯のおくすり)の和訳(3)− 森山徳長:日本歯科医史学会会誌 14(3): 238-242, 1988. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495278 | ||
1546 天文15 |
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歯科 Dentistry の最初の書. Artzney Buchlein(The Little Medicinal Book for All Kinds of Diseases and Infirmities of the Teeth, "Atrzney Buchlein, der allerley franckheiten und gebrech en der Zene gesogen aus dem Galeno, Avicenna, Mesue, Cornelio Celso und ander mehr der Artzney Doctorn sehr nutzlich zu lessen")について. ドイツ語で書かれた本.ラテン語の部分もある.13章からなり,まざまな著者によって書かれた医学論で,健康や病気とその治療について,さまざまな角度から論じられている.1530年に出版されたこの本は人気があり、少なくとも13版が出版された. 9章は,Artzney Buchlein(The Little Medicinal Book for All Kinds of Diseases and Infirmities of the Teeth, "Atrzney Buchlein, der allerley franckheiten und gebrech en der Zene gesogen aus dem Galeno, Avicenna, Mesue, Cornelio Celso und ander mehr der Artzney Doctorn sehr nutzlich zu lessen")と題され,歯科学に特化した最初のセクション/小冊子で,ドイツ語で書かれ別冊として出版もされた. 小冊子には,13のサブセクションがある(B. Weinberger, Early Dental Literatureの後): Section I: いつ、何本の歯が生えるのか Section II. 歯はどのような原因でダメになるのか Section III. 歯が生えやすくなるように、子供たちをどのように援助するか Section IV. 歯痛について Section V. 空洞と虫歯について Section VI. 端の歯について Section VII. 黄色と黒の歯 Section VIII. 窪んだ歯(埋伏歯)について Section IX. 緩んだ歯 Section X. 口の中の虫 Section XI. 潰瘍、悪臭、歯茎の病気 Section XII. 悪い歯を抜く方法 Section XIII. 良い歯を残す方法 この章は、コルネリウス・ケルスス(BC25-AD50),クラウディウス・ガレン(AD129-216),長老メシュー(777-857)として知られるユハンナ・イブン・マサワイ(Yuhanna ibn Masawaih),アヴィセンナ(イブン・シンナ)(980-1037),その他の古代・中世医学の著名人の著作からの知識をまとめたもの. | ||
1603 慶長8 |
- | - | 徳川家康 征夷大将軍に任命され江戸幕府を開く. | ||
1712 正徳2 |
倭漢三才圖會 巻十二 支體 |
寺島良案 編纂 |
寺島良安により編纂された日本の類書(百科事典,105巻81冊ある).明代の学者,王圻(おうき:1530-1615)による中国の類書 『三才圖会(1609年,全106巻)』 に触発され編纂された絵入りの百科事典.30年程かけて編纂された.空想上のものもあるが貴重な文化遺産とされる. 三才とは,「天」・「地」・「人」 のこと. 「十二巻 支體」には, 口 唇 歯牙 齶齗 齧齕 齲 舌 齵 齲 齕 齧 など,歯に関する記載がある.歯黒も記載されている. 寺島良安尚順 編 『和漢三才図会: 105巻首1巻尾1巻』 [13] [江戸時代] 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2596360 | ||
1728 |
- |
Pierre Fauchard 1678-1761 |
Le Chirurgien Dentiste, ou Traité des dents. / by Pierre Fauchard(1678-1761) 1728. 第1巻の27章 p.309-330に,歯並びの不正であった12才から22才までの12例ついて,これを改善したことを記述.各治療年や患者名も記述され,最も古い患者は第7の症例で,彼が歯科医となってすぐの1696年,22才の家具屋さんの犬歯を抜いて切歯の位置異常を改善したと記述されています. 原文では dérangement des dents 歯の乱れ mal arranges 位置異常 les dresser 正す
といったフランス語で記述され,Orthodontia の用語はまだ用いられていません.
具体的な施術方法については,第2巻TOME SECOND 8章Chapitre VIII p.85-110に驚くほど詳細に記述されています.両端に穴をあけた薄い銀板に糸を通し,それを歯にしっかりと結ぶことで,間接的な力を歯に加えていました.口蓋に転位した歯は舌側に,唇側に転位した歯は唇側に薄板を位置づけ,銀板を結紮して力を加えていました.十分なスペースがない場合は,ヤスリで歯を削る(今のIPR処置)ことや抜歯処置を行っていました.また移動の前に,ペリカン(抜歯鉗子の原型)で歯を脱臼させることもおこなっていました.薄板つける固定のための糸は,2-3日に1回以上は必ず交換すべしと記述されています.弾性のある装置は未だ使われていないこと,多くの症例は一週間程度で位置が改善したと記述している.今でいう,脱臼とRAP現象を併用したコルチコトミーに近い方法であったのではないだろうか.エーテル麻酔が1840年代で,その100年以上前である.それなりの痛みもともなうものだったであろう.
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1741 元文6 寛保元 | - | - | L’orthopedie Orthopedicsという用語が,Nicolas Andry de Bois Regard(1658-1672)による整形外科書 ”L’orthopedie”で始めて用いられた.整形外科書にある有名な図はこの書籍のものである. 1743年に,Robert Bunon(1707-1749)は,歯と顎骨の不調和について記述したが,Orthodonticsという用語はまだ用いられていない. | ||
1757 宝暦7 | - | - | Fauchardの支持者.であったEtienne Bourdet (エチエンヌ ブルーデ1722-1789)は,”Recherches et observations sur toutes les parties de l’art du dentiste.”の第二巻 の中でFauchardのプレートを改良した弯曲した装置を考案.叢生の改善のため 「serial extraction 便宜抜歯」 とし | ||
1768 明和5 | - | - | A treatise on the disorders and deformities of the teeth and gums ... with cases and experiments / By Thomas Berdmore. 1768. Part III. Chapter IV. Of Irregularities of the teeth, and the Reduction of them by Ligatures p. 212 に歯の不正について書かれている | ||
1771 明和8 | - |
John Hunter |
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Chapter VI. Of the Irregularity of the Teeth. P.72 Chapter VII. Of Irregularities between the Teeth and Jaw. P.82 | |||||
Chapter VI. Of the Irregularity of the Teeth. Chapter VII. Of Irregularities between the Teeth and Jaw. | |||||
1803 |
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Chap. V. Of the Irregularity of the Teeth Chap. VI. Of the Treatment to prevent Irregularity of the Teeth Chap. XII. The Treatment to remedy Irregularities of the Teeth
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1814 | - | - | A treatise on the management of the teeth / by Benjamin James. 1814. Irregularity of the Teeth p.97- | ||
1825 文政8 | - | - | A practical and domestic treatise on the diseases and irregularities of the teeth and gums; with the methods of treatment / By Mr. Sigmond. 1825. | ||
1829 | - | - | Joseph Foxの弟子. The anatomy, physiology, and diseases of the teeth / by Thomas Bell. 1829. on Irregularity p.82- Its orevention, and the Treatment of temporary irregularity The anatomy, physiology, and diseases of the teeth / by Thomas Bell. 1831. The anatomy, physiology, and diseases of the teeth / by Thomas Bell. 1835. The anatomy, physiology, and diseases of the teeth / by Thomas Bell. 1837. | ||
1829 | - |
- |
A System of Dental Surgery. In Three Parts. / by Samuel Sheldon Fitch. 1829 Part I. Chapter II. Section VII. Irregularity of the teeth Part II. Chapter I. Section VII. Treatment of irregularity of the teeth | ||
1839 天保10 | - | - | American Journal of Dental Scienceが創刊 | ||
1839 天保10 | - | - | The dental art: a practical treatise on dental surgery. / by Harris, Chapin A. 1839. CHAPTER TENTH. Irregularity of the Teeth p.140 Treatment of irregularity of the teeth. p. 143 | ||
1840頃 |
柳亭種彦 1783-1842 |
「八重歯」という用語の起源について,大野ら(1988 八重歯の考現学 上 | CiNii Research)は,柳亭種彦の書いたとされる引札(廣告)に,「八重歯」 の記載があることを報告した.この引札は,「御口中一切之療治」 と題された引き札文であるが,明治期の書に引用がいくつかあるが,その原典は確認できず,@ 竹澤東治 と A 竹澤藤治(獨楽)の2つの引札が混在して確認できる.内容は同じである.古今名家戯文集第2巻(明治23.9)には,「上野山下入歯師竹澤藤治のために作る」 と書いてあるが,半世紀以上経過している.しかし,入れ歯師の竹澤藤治と著名な柳亭種彦,そしてもっと著名な曲獨楽の竹澤藤治が交錯し腑に落ちず.広告ゆえ後世の偽作ではあるまいかとの疑念.藤治(曲獨楽)と東治の疑問.さらなる検証を要す. 仮に事実であれば,広告に記載されるのであるから,庶民には広く認知された言葉であったのであろう.柳亭種彦は,徳川家斉の私生活風刺により天保の改革で処罰され,それを苦にして死んだ.この引札(広告)は1830-40年ごろの作品になり,「八重歯」 という呼び名は江戸末期に庶民に認知されていたことになる. @ 竹澤東治 森一兵 編 『商家書翰文』 博文館,明31.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/865984 A 竹澤藤治 岡本竹二 編 『稗官必携戯文軌範』 巻之2 加藤正七 明16.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/882374 天保の改革:1841に老中の水野忠邦が幕府の力を回復するために,倹約令を出し,政治批判や風紀を乱す出版を禁止した.風俗取締りを行い,芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加え,歌舞伎役者の7代目市川團十郎,人情本作家の為永春水や柳亭種彦などが処罰された. 和歌森太郎 等監修 『新編人物百科事典』 東雲堂出版 昭和42. p.690 柳亭種彦 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1653906 | |||
1841 天保12 |
- | - | Nouveau traite theorique et pratique de l'art du dentiste / par J. Lefoulon ; avec cent trente figures sur bois gravees par Badoureau. 1841. PRÉFACE. と CHAPITRE VI (p.114)に,Dans le troisième chapitre, nous nous proposons de traiter avec un soin tout particulier les anomalies que les dents présentent dans leur arrangement, autrement dit l'orthodontosie; cette branche de l'art du dentiste ayant été pour nous l'objet de longues et fructueuses recherches. 歯の配列の不正を orthodontosie というと記述している. 【英語版】 英語では,Orthodentosy と翻訳された. A new treatise on the theory and practice of dental surgery / by J. Lefoulon ; translated from the French, for the American library of dental science, by Thomas E. Bond, jr. 1844. | ||
1842 | A Treatise on Irregularity of the Teeth by SCHANGE | ||||
1845 弘化2 |
- |
Chapin A. Harris 1806-1860 |
チャッピン・A・ハリス著 「歯科外科学の原理と実際」(初版 - 13版)の書誌学.森山徳長
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 2nd ed. 1845. The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 3rd ed. 1848.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 4th ed. 1850.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 5th ed. 1853.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 6th ed. 1855.
- - - - - Harris, Chapin A. (Chapin Aaron), 1806-1860.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 10th ed. 1881.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 10th ed. 1882.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 11th ed. 1885.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 12th ed. 1889.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 13th ed. 1898.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 13th ed. 1906.
The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 13th ed. 1910.
| ||
1845 弘化2 |
- | Mortimer | I. Observations on the Growth and Irregularities of Children's Teeth, followed by Remarks and Advice on the Teeth in general. / by TV. U. Mortimer, bmali 8vo, pp. 129. Highley, 1845. Med Chir Rev. 1845 Jul;2(3):141-148. | ||
1849 嘉永2 |
歯科学辞典,伝記, 書誌,医学用語集 |
Chapin A. Harris |
A dictionary of dental science, biography, bibliography, and medical terminology / by Chapin A. Harris.1849. p.558 ORTHODON'TIA. Dental orthopӕdia; from ορθος, straight, right, and οδους, a tooth. That part of dental surgery which bas for its object, the treatment of irregularity of the teeth. See Irregularity of the Teeth, treatment of. ORTHODON'TIC. Relating to the treatment of irregularity of the teeth. ORTHOPÆDl'A. From ορθος, straight, right, and παις, a child. The ORTHOPED'IC. Relating to orthopӕdia.
☛ Dental surgery の一部として歯の不正を治療するための学問として始まり,のちに個別科学として専門分化した.
Irregularity of the Teeth p.396-403 / Dental Surgery は,別項に記載したので一読すると参考になる.
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1853 嘉永6 |
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6月3日. 浦賀に Matthew Calbrsith Perry の率いる黒船来航. | ||
1854 嘉永7 |
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3月8日上陸.日米和親条約. 下田(静岡県下田市/横浜開港の半年後に閉鎖),箱館(函館市)が開港. | ||
1855 安政2 |
医学用語 歯科手術など辞典 |
Chapin A. Harris |
A dictionary of medical terminology, dental surgery, and the collateral sciences / by Chapin A. Harris. Harris. 1855 Irregularity of the Teeth については,p.393-396まで詳細な記述がある.→ See 1849年
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1856 安政3 |
日本遠征石版画集 Graphic Scenes in the Japan Expedition. New York, 1856. 『ペリー日本遠征記』 日本遠征記: Francis Lister Hawks ed. Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China seas and Japan,... 3 vols. Washington, 1856. この中に,日本人の顔貌の特徴について記述した部分,また歯並びではないが,当時の日本女性の「歯を黒く染める習慣:お歯黒(鉄漿)」について,初めて見た描写があるので以下に記載した. 今日の映画や時代劇のキレイな歯並びの白い歯は,史実とは異なるものであることが事実である. Chapter XXI. p.393- | ||||
The Japanese and the Lew Chewans differ slightly from each other, the
latter being more effeminate and somewhat less intelligent, but this may
be owing to their simple, retired life, upon a remote island, where
their wants are few, and nature is generous. They have, however, such
strong resemblances that it is almost impossible to resist the
conviction of their sameness of origin. They have both the same height,
and very similar features. In both, the head is oval, approaching in
form that of the European, the frontal bones rounded, and the forehead
high, the face oval, and the general expression mild and amiable, the
eyes large and animated, though more so in the Japanese than in the Lew
Chewans, the irides in both are dark brown or black, the lashes long,
and the eyebrows rather heavy and arched. The long angular form of the internal canthus of the eye is seldom seen, either in the Japanese or Lew Chewan. The nose in each is generally handsome, and well proportioned to the other features ; the root of it is not depressed, as in the Chinese or Malay, and the nostrils are not so widely dilated. The cheek bones are not very prominent, and consequently there is a want of that squareness of face which is so remarkable in some eastern races. The mouth is rather large, the teeth broad, very white and strong, and the chin neatly cut. One mark the Japanese and Lew Chewans have in common to distinguish them from the Malay or Chinaman ; it is the possession of a strong black beard, which both the latter are destitute of to any extent. In other parts of the body the same conformity of organization exists in the Lew Chewan and Japanese. But it is not in mere physical conformity that we trace the same origin of both races. The identity of the two races is proved by the more satisfactory testimony of affinity of language. Dr. Fahs, while preparing his report upon the ethnology of Lew Chew, gave as much attention as his opportunities afforded to the study of the language, and prepared the following vocabulary, in which some Lew Chewan and Japanese words are placed side by side. It will be observed there is such a similarity between the two, that no doubt can be entertained of the words being the same, with only the difference which may be reasonably put down to peculiarity of dialect. - - - - - - - - - - - - - The Commodore and his officers were conducted to the home of the mayor or chief magistrate of the town. This dignitary, with great cordiality, met and welcomed them to the hospitalities of his establishment. The interior was quite unpretending, consisting of a large room, spread with soft mats, lighted with oiled paper windows, hung with rudely executed cartoons, and furnished with the usual red-colored benches. ‘The wife and sister of the town official soon entered with refreshments, and smiled a timid welcome to the visitors. These women were bare footed and bare legged, and were dressed very nearly alike, in dark colored robes, with much of the undress look of night gowns, secured by a broad band passing round the waist. Their figures were fat and dumpy, or at any rate appeared so, in their ungraceful drapery, but their faces were not wanting in expression, for, which they were very much indebted to their glistening eyes, which were black as well as their hair; this was dressed at the top of the head, like that of the men, although not shaved in front. As their ‘‘ruby’’ lips parted in smiling graciously, they displayed a row of black teeth, set in horribly corroded gums. The married women of Japan enjoy the exclusive privilege of dyeing their teeth, which is done with a mixture of vile ingredients, including filings of iron and sakee, termed Oha gur or Camri. This compound, as might be naturally inferred from its composition, is neither pleasantly perfumed nor very wholesome. It is so corrosive, that in applying it to the teeth, it is necessary to protect the more delicate structure of the gums and lips, for the mere touch of the odious stuff to the flesh burns it at once into a purple gangrenous spot. In spite of the utmost care, the gums become tainted, and lose their ruddy color and vitality. We should think that the practice was hardly conducive to connubial felicity, and it would be naturally inferred that all the kissing must be expended in the extacy of courtship. This compensation, however, is occasionally lost to the prospective bridegroom, for it is not uncommon for some of the young ladies to inaugurate the habit of blacking the teeth upon the popping of the question. The effects of this disgusting habit are more apparent from another practize which prevails with the Japanese, as with our would-be civilized dames, that of painting the lips with rouge. The ruddy glow of the mouth brings out in greater contrast the blackness of the gums and teeth. The rouge of the Japanese toilet, called bing, is made of the carthamus tinctorius, and is prepared in cups of porcelain. When a slight coat is applied, it gives a lively red color, but when it is put on thick, a deep violet hue, which is the most prized, is the result.* The worthy mayor had some refreshments prepared for his guests, consisting of tea, cakes, confectionary, and the never absent saki. With the latter was served a kind of hot wafile, made apparently of rice flour. The civic dignitary himself was very active in dispensing these offerings, and he was ably seconded by his wife and sister, who always remained on their knees in presence of the strangers. This awkward position of the women did not seem to interfere with their activity, for they kept running about very briskly with the silver saki kettle, the services of which, in consequence of the smallness of the cups, were in constant requisition. The two ladies were unceasingly courteous, and kept bowing their heads, like a bobbing toy mandarin. ‘The smiles. with which they perseveringly greeted the guests might have been better dispensed with, as every movement of their lips exposed their horrid black teeth and decayed gums. The mayoress was uncommonly polite, and was good natured enough to bring in her baby, which her guests felt bound to make the most of, though its dirty face and general untidy appearance made it quite a painful effort to bestow the necessary caresses. <A bit of confectionary was presented to the infant, when it was directed to bow its shaven head, which it did with a degree of precocious politeness, that called forth the greatest apparent pride and admiration on the part of its mother and all the ladies present. On preparing to depart, the Commodore proposed the health, in a cup of saki, of the whole household, which brought into the room, from a neighboring apartment, the mayor’s mother. She was an ancient dame, and as soon as she came in she squatted herself in one corner, and bowed her thanks for the compliments paid to the family, of which she was the oldest member. As the Japanese officials no longer interfered with the curiosity of the people, there was a good opportunity of observing them, though hurriedly, as the Commodore and his party were forced to return early to the ships. The people, in the small towns, ap; eared to be divided into three principal classes,—the officials, the traders, and laborers. The inferior people, almost without exception, seemed thriving and contented, and not overworked. There were signs of poverty, but no evidence of public beggary. The women, in common with many in various parts of over-populated Europe, were frequently seen engaged in field labors, showing the general industry and the necessity of keeping every hand busy in the populous Empire. The lowest classes even were comfortably clad, being dressed in coarse cotton garments, of the same form, though shorter than those of their superiors, being a loose robe, just covering the hips. They were, for the most part, bareheaded and barefooted. ‘The women were dressed very much like the men, although their heads were not shaved like those of the males, and their long hair was drawn up and fastened upon the top, in a knot, or under a pad. The costume of the upper classes and the dignitaries has been already described. In rainy weather, the Japanese wear a covering made of straw, which being fastened together at the top, is suspended from the neck, and falls over the shoulders and person like a thatched roof. Some of the higher classes cover their robes with an oiled paper cloak, which is impermeable to the wet. The umbrella, like that of the Chinese, is almost a constant companion, and serves both to shade from the rays of the sun, and keep off the effects of a shower. The men of all classes were exceedingly courteous, and although inquisitive about the strangers, never became offensively intrusive. The lower people were evidently in great dread of their superiors, and were more reserved in their presence, than they would have been if they had been left to their natural instincts. The rigid exclusiveness in regard to foreigners is a law merely enacted by the government from motives of policy, and not a sentiment of the Japanese people. Their habits are social among themselves, and they frequently intermingle in friendly intercourse. There is one feature in the society of Japan, by which the superiority of the people, to all other oriental nations, is clearly manifest. Woman is recognised as a companion, and not merely treated as a slave. Her position is certainly not as elevated as in those countries under the influence of the Christian dispensation, but the mother, wife, and daughter of Japan, are neither the chattels and household drudges of China, nor the purchased objects of the capricious lust of the harems of Turkey. The fact of the non-existence of polygamy, is a distinctive feature, which pre-eminently characterizes the Japanese, as the most moral and refined of all eastern nations. The absence of this degrading practice shows itself, not only in the superior character of the women, but in the natural consequence of the greater prevalence of the domestic virtues. The Japanese women, always excepting the disgusting black teeth of these who are married, are not ill-looking. The young girls are well formed and rather pretty, and have much of that vivacity and self-reliance in manners, which come from a ccnsciousness of dignity, Cerived from the comparatively high regard in which they are held. Jn t! e ord nary mu‘ual intercourse of friends and families the women have their share, and rounds of visiting and tea parties are kept up as briskly in Japan as in the United States. The attitude assumed by the women, who prostrated themselves in the presence of the Commodore and his party, should be considered rather as a mark of their reverence for the strangers than as an evidence of their subordination. That in the large towns and cities of Japan there is great licentiousness, it is reasonable to suppose, for such seems, unhappily, a universal law in all great communities ; but it must be said to the credit of the Japanese women, that during all the time of the presence of the squadron in the bay of Yedo, there was none of the usual indication of wantonness and license on the part of the female sex in their occasional relations with the miscellaneous ships’ people. |
日本人とルー族のチュワン族は互いに微妙に異なっており、後者の方がより女々しく、知性にやや劣るが、これは彼らの欲望が少なく、自然が寛大な離島での、簡素で隠遁的な生活のせいかもしれない。しかし、両者には非常に強い類似点があり、その起源が同じであるという確信に抗することはほとんどできない。両者とも身長は同じで、特徴もよく似ている。両者とも頭は楕円形で、その形はヨーロッパ人に近く、前頭骨は丸く、額は高く、顔は楕円形で、全体的な表情は温和で愛想がよく、目は大きく生き生きとしているが、日本人の方がルー・チュワン人よりもはっきりしており、虹彩は両者とも暗褐色か黒色で、まつ毛は長く、眉毛はやや太くアーチ型である。 日本人でもルー・チワンでも、眼球の内側に長い角があるのはめったに見られない。鼻の付け根は中国人やマレー人のように落ち込んでおらず、鼻孔はそれほど大きく開いていない。頬骨はあまり出っ張っておらず、そのため東洋の人種に顕著な顔の四角さがない。口はやや大きく、歯は幅広く、非常に白く丈夫で、顎はきれいにカットされている。日本人とルー・チュワン族がマレー人やシナ人と区別できる一つの共通点は、たくましい黒ひげを蓄えていることである。ルー・チュワンと日本人には、身体の他の部分においても同じような一致した特徴がある。 しかし、両民族の起源が同じであることを示すのは、単なる身体的な一致ではない。両民族の同一性は、言語の親近性という、より納得のいく証言によって証明されている。ファース博士は、ルー・チューの民族学に関する報告書を作成する際、機会が許す限り言語の研究に注意を払い、ルー・チューワンと日本語の単語を並べた以下の語彙集を作成した。ルー・チュワンと日本語の単語は非常によく似ており、方言の違いに起因すると思われる差異があるだけで、同じ単語であることに疑いの余地はない。 - - - - - - - - - - - 提督とその将校は、町長または町奉行の家に案内された。この高官は、非常に心をこめて彼らを出迎え、彼の家のもてなしに歓迎した。内部はまったく飾り気のないもので、大きな部屋に柔らかいマットが敷かれ、油紙でできた窓で照らされ、粗雑に描かれた漫画が掛けられ、いつもの赤い色のベンチが置かれていた。町の役人の妻と妹がすぐに軽食を持って入ってきて、訪問客におずおずと歓迎の笑みを浮かべた。彼女たちは素足に裸足で、ほとんど同じような服装をしていた。暗い色のローブを着ていて、ナイトガウンのような脱いだような風貌で、腰のあたりを通る太いバンドで固定されていた。彼らの体型は太っていて小太りであった。ルビーのような」唇が優雅に微笑むと、ひどく腐食した歯茎に並んだ黒い歯が見えた。日本の既婚女性は、自分の歯を染めるという特別な特権を与えられている。それは、オハグルまたはカムリと呼ばれる、鉄粉や酒粕などの下品な成分を混ぜたもので行われる。この混合物は、その組成から当然推測されるように、心地よい香りもなく、健康的でもない。非常に腐食性が強いため、歯に塗る際には、より敏感な組織である歯茎や唇を保護する必要がある。最大限の注意にもかかわらず、歯茎は汚染され、赤みを帯びた色と活力を失う。私たちは、この習慣が夫婦の幸福につながるとは到底思えず、キスはすべて求愛のために費やされるに違いないと考えるのが自然だろう。というのも、若い女性の中には、求婚されたときに歯を黒くする習慣を持つ人も珍しくないからである。 この醜悪な習慣の影響は、日本人に蔓延しているもう一つの習慣、すなわち、われわれのような文明化された女性に見られるような、唇に紅を塗る習慣を見ればより明らかである。口元が赤く輝くことで、歯茎や歯の黒さがより際立つのだ。日本の化粧道具の紅は「紅」と呼ばれ、カルタムスチノキから作られ、磁器のカップで調製される。薄く塗ると生き生きとした赤色になるが、厚く塗ると、最も珍重される深い紫色になる*。 立派な市長は、茶、ケーキ、菓子、そして決して欠かすことのできないサキからなる軽食を客人のために用意した。後者には、米粉で作ったと思われる温かいワッフルが添えられていた。市民の高官自身は、これらの供え物を配るのに非常に積極的であったが、彼の妻や妹は、見知らぬ人々の前では常に膝をついたままであった。彼女たちのこのぎこちない体勢は、彼女たちの活動を妨げるものではなかったようで、銀の蒔き釜を持って小走りに動き回った。二人の女性は絶え間なく礼儀正しく、おもちゃのマンダリンのように頭を下げ続けた。彼女たちが執拗に客人にあいさつしていた微笑みは、唇を動かすたびにおぞましい黒い歯と腐った歯茎が露わになるため、やめたほうがよかったかもしれない。市長夫人は非常に礼儀正しく、自分の赤ん坊を連れてくるほど親切であったので、招待客はその赤ん坊を喜ばせようと思ったが、その赤ん坊の汚れた顔と一般的な不潔な外見から、必要な愛撫を与えるのはかなり骨が折れた。<お菓子が少し贈られ、剃った頭を下げるよう指示された。 提督が出発の準備をするとき、隣の部屋から市長の母親が部屋に入ってきた。彼女は年配の女性で、部屋に入ってくるなり片隅にしゃがみこみ、自分が最年長の家族に対する賛辞に頭を下げた。 日本の役人たちがもはや人々の好奇心を邪魔することがなくなったので、提督一行は早々に船に戻らざるを得なかったが、彼らを観察する良い機会があった。小さな町の人々は、役人、商人、労働者の3つの階級に分かれていた。下層階級の人々は、ほとんど例外なく、繁栄し、満足し、過労でもないようだった。貧困の兆候はあったが、世間一般に乞食がいるような様子はなかった。人口過密なヨーロッパ各地の例に見られるように、女性たちが畑仕事に従事しているのを頻繁に見かけ、人口が多い帝国では一般的な産業が盛んで、あらゆる手を忙しく動かす必要があることを物語っていた。最下層階級の人々も、上層階級の人々の衣服よりも短いとはいえ、同じような形の粗い木綿の衣服に身を包み、お尻が隠れる程度のゆったりとした衣服に身を包んでいた。ほとんどの場合、彼らは素っ裸で裸足だった。女性も男性とよく似た服装をしていたが、男性のように頭を剃ることはなく、長い髪を結い上げたり、頭巾の下で留めたりしていた。上流階級と高官の衣装についてはすでに述べた。雨天時には、日本人は藁でできた被り物を着用する。藁は上部で留められ、首から吊り下げられ、藁葺き屋根のように肩と人の上に落ちる。上流階級の人々の中には、雨を通さない油紙で衣を覆う人もいる。傘は中国人と同様、常に持ち歩くもので、日差しを遮り、にわか雨を防ぐ役割を果たす。どの階級の人々も非常に礼儀正しく、見知らぬ人々について詮索はしたが、不快に立ち入ることはなかった。下層階級の人々は、明らかに目上の人を非常に恐れており、彼らの前では、本来の本能に任せた場合よりも控えめだった。外国人に対する厳格な排他性は、単に政策的な動機から政府が制定した法律であり、日本人の感情ではない。日本人の習慣は外国人同士でも社交的であり、友好的な交流が頻繁に行われている。日本の社会には、他のすべての東洋の国々と比べて、日本人の優越性がはっきりと表れている特徴がある。女性は伴侶として認められており、単に奴隷として扱われているわけではない。しかし、日本の母、妻、娘は、中国の家畜や家事労働者でもなければ、トルコのハーレムの気まぐれな欲望の対象でもない。一夫多妻制が存在しないという事実は、日本人を東洋諸国の中で最も道徳的で洗練された国として際立たせている。一夫多妻制がないことは、女性の性格が優れているだけでなく、家庭の美徳がより広く浸透しているという自然な結果にも表れている。 日本の女性は、結婚している女性の嫌悪感を抱かせる黒い歯を除けば、決して容姿が悪いわけではない。若い女性たちは整った顔立ちで、どちらかといえばかわいらしく、比較的高い評価を受けていることからくる威厳の意識からくる快活さと自立したマナーを持っている。友人や家族との日常的な交流の中で、女性たちもその役割を担っている。提督一行の前で平伏した女性たちの態度は、彼女たちが従属的である証拠というよりは、むしろよそ者に対する敬意の表れと考えるべきだろう。日本の大きな町や都市では遊興が盛んであると考えるのが妥当であろう。不幸なことに、このようなことはすべての大きな社会における普遍的な法則であるように思われる。 | ||||
1858 安政5 |
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日米修好通商条約. 批准書がワシントンで交換されたのは1860年.アメリカでは「ハリス条約」と呼ばれる. イギリス,フランス,オランダ,ロシアとも,同様の条約を締結(安政の五か国条約)し,自由貿易が始まった. | ||
1859 安政6 | - |
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1860 万延元年 安政7 |
- | Owen | The principal forms of the skeleton and the teeth : as the basis for a system of natural history and comparative anatomy / by Owen, Richard, Sir, 1860. | ||
1860 万延元年 安政7 |
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福澤諭吉 |
1860年1月〜 咸臨丸にてアメリカへ 1861年12月〜 Odin号にて1年のヨーロッパ巡遊.300両でロンドンで英書購入. 1867年 軍艦受取の使節団として再びアメリカへ. | ||
1860 万延元年 安政7 |
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イーストレーキ 来日 |
日本歯科医師会 編 『歯科医事衛生史』 前巻 日本歯科医師会 昭15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1047240 長谷川保兵衛 佐藤 重 → 佐藤運雄 | ||
1861 文久元年 万延2 | 1865 慶応元 元治2 |
American Civil War | - | アメリカ南北戦争 | ||
1866 慶応2 |
福澤諭吉 |
コヲミング氏 人身窮理書 東京・慶應義塾図書館蔵 Benjamin N Comings Class-Book of Physiology: For the Use of Schools and Families. Second Edition. 1860. | |||
1868 慶應4 9月8日 明治改元の詔 |
慶応4年3月14日(1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で,公卿や諸侯などへ,「五箇条の御誓文」 による明治政府の基本方針を示した. 一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ (現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。 一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ (現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。 一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス (現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。 一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ (現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ (現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。 (現代表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱 (現代表記)勅意宏遠、誠に以て感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出べからず。臣等謹んで叡旨を奉戴し死を誓い、黽勉従事、冀くは以て宸襟を安じ奉らん。慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯各名印 明治政府はまさに世界に学んだ.陸軍や土木はフランスやドイツ,教育はアメリカやフランス,海軍はイギリスやアメリカの指導を受け,後の岩倉使節団のように,先進国の中から日本に会う形を探ることが明治国家建築の共通作業であったという. その中に,国家プロジェクトとして百科事典翻訳があり,歯科医学についてもアメリカ一国のみの影響を受けたわけではない.後の小林義直の翻訳した「齒科提要」は独逸国パライト氏の著作であり,佐藤運雄の著書で引用された文献の半数は独逸書であった.翻訳にあたり小林義直は,何度も小幡英之助の診療所を訪ねて見学したたことが序文に記載されている. | ||||
1870 明治3 |
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エリオット 来日 |
セント・ジョージ・エリオット(米)が来日. 小幡英之助
日本歯科医師会 編 『歯科医事衛生史』 前巻 日本歯科医師会 昭15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1047240
泰西
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1870 明治3 |
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Irregularities and diseases of the teeth. / by Henry Sewill
1870. | ||
1871 明治4 |
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1871年(明治4)12月23日にに岩倉使節団団が横浜港を出港し,翌年1月15日に最初の寄港地サンフランシスコへ入港,1月31日まで滞在.. 詳細は「特命全權大使米歐回覧實記(明治11年10月刊行)」第一編 北亞米利加洲合衆國の郡 第三巻 桑方西斯哥府の記上をご覧されたい.. 岩倉使節団には,西洋諸国の維持制度(いまの衛生行政,医療制度)の視察を命じられたた長與專齋齋がいた.. 長與はオランダ人ポンぺの元で西洋医学を修め,長崎精徳館(のちの長崎府医学校,長崎大学医学部)の院長であった人物で,帰国後の1873年(明治6年)6月に文部省医務局の二代目医務局長に就任し,翌1874年(明治7)の8月18日に発布された「「医制制」の立案を行った..「hygienee」 をを 衛生 と翻訳したも.. 医業の許可制などが定められ,徐々に医師・歯科医師の職務内容が定められていった.. | ||
1872.10 明治5 |
啓蒙養生訓 |
土岐頼徳 纂輯 |
土岐頼徳 纂輯 『啓蒙養生訓』 島村利助 明5.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1209485 この書で名醫又は醫士などというは學術を兼備えたる名人のことをいい,従前の家伝の醫又は幇間醫などのではないといったことが書いてある. この当時は,口忠医や 巻之二 齒牙の部 總論 齒牙を健全にせんと 飲食とも過熱し又過冷きときは直に口に入るべからざる事 乳齒は弛縦や忽地XXX抜去すべき事 並に齠齕の后齒列整はぬときは一二本を抜去るべき事 齒牙の養生は日常の檢査肝要なること 齒に害ある諸品の事 ※ 齠齕:乳齒と永續齒との代わること | ||
前書きには,以下の諸著から理解し易い事を抄譯して纂めて啓蒙養生訓とした.とある.抄譯のため,どの単語,どの文章が翻訳文の元なのかは不明. 參互纂集した書は以下のものと記載されている. 米国 ひっちこっく と かつとる の解剖生理養生論 → Hitchcock / Carter 米国 すみす 生理書 → Smith 英国 ぐれい 解剖書 → Gray かーぺんとる 生理書など.→ Cartenter 推察される原著: Elementary anatomy and physiology : for colleges, academies, and other schools / by Edward Hitchcock and Edward Hitchcock, Jr. 1868 Anatomy, descriptive and surgical / by Henry Gray ; the drawings by H.V. Carter ; with additional drawings in the 2nd and later editions by Dr. Westmacott ; the dissections jointly by the author and Dr.Carter. 1869. → 初学人身窮理. 巻之上・下 / カットル原著 松山棟菴 森下岩楠 訳 新歯ノ歯並ヲ<Jラシムベシナシ二.... >> 「歯並」 の語が使われる Health and disease as influenced by the daily, seasonal, and other cyclical changes in the human system / by Edward Smith. 1861 Principles of human physiology / by William B. Carpenter. 1864. | |||||
1872 明治5.12.2 を最終日とし 翌日より 1873.1.1 明治6.1.1 となった |
太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ行フ附詔書 改暦について: 明治5年12月2日(=1872/12/31) が旧暦(太陰太陽暦)の最後の日となる. 明治5年12月3日を明治6年1月1日(=1873/1/1)と定め改暦が行われた. これ以降は,西暦(グレゴリオ暦)と月日と一致するようになった. |
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1873 明治6 |
西洋養生論 全二冊 上 下 |
横瀬文彦 阿部弘国 譯 |
『西洋養生論』 上 明6.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836977 『西洋養生論』 下 明6.7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1939207 下編には,歯の事として 強歯ノ緊要 歯ノ衰弱- - - - - - - 歯列(シレツ,ハナラビ)ノ表二始マリ用語がある. 歯ノ保養法 がある. | ||
米利堅ノノ醫学家コーミング氏ノ生理書書中ヨリ抄譯セルモノニシテ....とある.. 歯列(シレツ,ハナラビ)ノ表二始マリ:: 原著と対比したところ,, Decay of the tooth never commences on the smooth portion, which is most worn by use, but in those portions where the food and other foreign substances are most liable to be deposited. The surface next to an adjoining tooth, the depression sometimes found in the top of molar teeth, and the space around the neck of the tooth, will prove to be the first points of decay.. う蝕の出来やすいところで隣接面であり誤解釈と思われるが,この時代大変な苦労であり無理もない.. 慶応義塾の日記には,明治元年には,本書(コヲミング氏の人身窮理書)の会読を月・木の午後1時から4時まで行っていたことが記録されている.. 人体窮理書など泰西の医学書を買って帰り,歯の事も読んでいたようである. | |||||
原著: Class-Book of Physiology: For the Use of Schools and Families. Second Edition. / by Benjamin N Comingss1860.1860. | |||||
1869 明治2 1873 明治6 | - | - | カーレットソン歯科書 Garretson, James Edmund, 1828-1895. A treatise on the diseases and surgery of the mouth, jaws and associate parts. 1st ed. 1869. Irregularities of the teethの章なし | ||
Chapter XXI. IRREGULARITIES OF THE TEETH.p.478-494.
保齒新論(1881)の参考書とされ,後に歯科全書(1885)として全文が直訳された. Chapter XXI Irregularities of the Teeth
保齒新論では 「鹺跌」 と翻訳. 齒科全書では 「齒の不正」 と翻訳. | |||||
1874 明治7 |
- | - | 「医制」 発布 | ||
1875 明治8 |
四民須知 養生浅説 上 下 |
譯 |
マルチンダル 著 日本備後福山 小林義直 譯 『四民須知 養生浅説』 下 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/837262 巻ノ下 の p.17-22. 第八節 齒及他ノ機器 @ から N B 永久齒の密接ニ過キテ齒列不整ナル時ハ其一二枚ヲ脱去スヘシ□ク其齒列ヲ改正シ兼テ其壓迫壓シテ生スル琺瑯質ノ虧損ヲ防クナリ琺瑯質ノ一分虧損シテ腐蝕ヲ始ムル時ハ金箔ヲ以テ之ヲ填塞スヘシ然スル時ハ□ク數年間其更ニ深ク腐蝕スルヲ預防スヘシ 不整: irregular,文章の意味から歯列不整と翻譯. 密接: crowded 壓迫:圧迫 虧損:きそん.物が欠ける.欠損 第九節 人體の發育生長 (歯の萠出順序,顎骨の発育が書かれている) I 齒ハ一歳中ニ發生ヲ始ム即チ第七八月ニメ上下顎ノ各側ニ前齒(切齒)二枚ヲ發露シ一歳ノ末ニ至リテ両顎ノ各側ニ齨齒一枚ヲ生シ第十八月ニシテ犬齒胃齒眼齒ヲ生シ第二歳ニシテ各顎合シテ四箇ノ齨齒ヲ増生シ總計二十齒トナル即チ各顎ニ切齒四,犬齒二,齨齒四アリ是レ所謂一時齒一名乳齒ニテ後ニ永久齒ト交代スル者ナリ J 乳齒及ヒ永久齒ノ種子ハ目撃スヘカラスト雖嬰児誕生ノ時早ク己ニ齶内ニ潜伏スmシ永久齒ハ大抵六歳マテ發育頗ル漸除ニメ著シカラス此時ニ至リテ頓ニ其容積ヲ増シ各顎ノ表靣ニ向ヒテ進出ス従ヒテ乳齒ヲ壓シテ其嵌窩ヲ脱落セシム永久齒ハ乳齒ヨリモ織質硬クシテ容積大ナリ其全數モ亦多クシテ三十二枚アリ故ニ此期ニ於テハ上下ノ二顎モ發育シテ此多數ノ齒ヲ含保スヘキニ至レリ 雖:いえども mシ: 壓:おす/ 壓迫:圧迫 K 永久歯發露ノ順次ハ通常左ノ如シ六七歳ニテ第一齨齒ヲ生シ七八歳ニシテ諸切齒ヲ生シ九歳十歳の間ニニ箇ノ小齨齒突出ノ第一期ノ第二齨齒ト交代シ十二歳ニシテ第一期ノ犬齒ト永久ノ犬齒ト交換ス十三四歳ニシテ第二齨齒ヲ生シ十七歳乃至二十歳ニメ□末齨齒即チ智齒ヲ生シテ永久歯全備ス L 人類ノ生活期ヲ區別スレハ初生ヨリ齒ノ初メテ顯ハルルマテ七月間ヲ嬰児の期ト云ヒ此ヨリ乳齒脱落ヲ始ムル時即チ六七歳マテヲ小児ノ期ト云ヒ此ヨリ身長ノ發育全ク終ル時十八歳乃至二十歳マテヲ幼年ノ期ト云ヒ此後ヲ成人ノ期一名壯年ノ期ト云フ此期ヲ過クレハ體力減衰ノ期所謂老年期ニ達ス この「養生浅説」は,文部省より出版され,小学教師の口述の教材とされた.広く知識として行き渡っていた. | ||
原書 Human Anatomy, Physiology, and Hygiene: A Text-book for Schools, Academies ... / by Joseph C. Martindale, 1872. CHAPTER V. Hygine. Section VIII. The Teeth and Other Organs. p.202-206. 1.- 15. が対応している. 3. When the permanent teeth are irregular from being too much crowded, one or more of them should be removed. This will improve their appearance , and will prevent them from pressing so closely together as to cause injury to the enamel. When any part of the enamel is injured, and the tooth has commenced to decay, it should be filled with gold- foil . In this way a tooth partly decayed may be preserved for many years. CHAPTER VI. Development and Death. Section I. Growth and Development 10. The teeth begin to appear within the first year. The front, or incisor teeth, both upper and lower, are usually through the gums at the age of seven or eight months; and one molar tooth is through, on each side of each jaw, by the end of the year. At eighteen months the canine, or stomach and eye teeth, appear ; and at two years of age, four other molar teeth are added to each jaw, making twenty teeth in all. The teeth then consist of four incisors, two canines, and four molars in each jaw. They are called the temporary or milk teeth, and are followed by the second set, or permanent teeth. stomach teeth: 胃齒.下齶の犬歯ヲイフ. eye teeth: 眼齒.上齶ノ犬歯ヲイフ. 11. The rudiments of the second as well as of the first set of teeth emit in the jaw at the time of birth, although they are not visible. The second set of teeth grow very slowly until about the sixth year, when they increase more rapidly in size, and soon push their way towards the surface of the gum; thus pressing against the milk teeth, which become detached and fall from their sockets in the jaw. The permanent teeth are harder in texture and mostly larger in size than the temporary set. They are also more numerous, and number thirty-two, irnstead of twenty; and the jaws have both increased in size so as to accommodate this larger number. 12. The permanent teeth usually appear in the following order: In the sixth and seventh years, the first molar teeth, and in the seventh and eighth years, the incisor teeth appear. In the ninth and tenth years, the two molars of the first set give place to the two bicuspids of the permanent set; and in the twelfth year, the canine teeth of the first set are replaced by the canines of the second set. In the thirteenth and fourteenth years, the second molar teeth protrude from the jaw; and from the seventeenth to the twenty-second year, the last molar, or wisdom teeth, appear and complete the permanent set. 13. Human life has been divided into periods which may be thus ditinguished. From birth to the appearance of the first tooth, in the seventh month, is the period of infancy; from the appearance of the first tooth to the time when the temporary or milk teeth begin to fall out, in the sixth or seventh year, is the period of childhood; from the time when the temporary teeth begin to fall to the final completion of the stature, in the eighteenth or twentieth year, is the period of youth. Then comes the period of maturity, or the prime of life; after which the powers decline, and the last period of human life, that of old age, is reached. | |||||
1875 明治8 |
- | - | 明治8年以降,齒科醫の数は漸く多くなっていたが,これを統一する機関がなく,普通醫(一般の医師)には醫師會があったけれども,齒科醫にはこの學を企てる人物がいなかった. 一般の人々にとっても「齒師」の数が大変多く,社会ではこの 「齒師」 と 「齒科醫」 とを区別する見識がなかったので,「齒科醫」 は甚大にその権利を蹂躙されており非常に不利な状態である. このため,会を成立させることは万人にとって望むところであり,これをもって齒科醫師を統一して齒科醫學の進歩にも大変役立てることができる. その後,各府縣で競って齒科醫會が設立され,東京に本部を置いて他を支部として全国の齒科醫を統一するに至った. 明治26年に伊達道盛は試験委員の職を辞すると率先して齒科醫師の団体を作ろうと,自ら主唱者となって,小幡,高山の両氏を説得して発起人となるように求め,同年6月に創立総会を芝公園三縁定にて開き,委員十数名と会則を定め,9月をもって東京齒科醫會を成立させ本邦の最初の齒科醫師會となった. | ||
1876 明治9 | - | - | A History of Dental and Oral Science in America. / by James E. Dexter 1876. 本書は,米国科学会がとりまとめたもので,p.108-111 に IRREGULARITIES(齒の不正)に関する記述がある. この書は50年ほど後に書かれた高山歯科醫学院講義録第六巻において,講演・筆記された 「歯科学術沿革史」 の種本となった.直訳されたにもかかわらず翻訳参考したことが述べられていないことから,学徳上アンフェアであると中原,樋口氏に指摘されている(検証・歯科医学史の書誌.日本歯科医史学会雑誌: 29(3)183-191,2012.). ☛ 高山齒科醫学院講義録(歴史) ☛ 鹺てつ(齒失)は p.251-258 | ||
1876.10 明治9 |
育児小言(智巴士氏) 初篇の1 初篇の2 |
松本順 閲 澤田俊三 譯 |
パイ・ヘンリー・チャアス 著 ほか 『育児小言(智巴士氏)』 初篇の1 気海楼 明9.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/849201 一.齒の事 Dentition p.41-50 1875年にロンドンで刊行された Pye Henry Chavasse の書 "Advice to a Mother" を翻譯.この中に,「齒の事」 があり,乳歯の生える順序,拇指を甞(な)むる(拇指吸引癖)ことなど育児上の歯に関するアドバイスが述べられている.a double tooth を「八重歯」と翻譯した. 「八重」 は八つ,数多く重なることを意味し,末広がりの八が重なることは縁起が良いとされる.八重桜,八重山,八重雲,八重垣 など.a double tooth を八重歯と翻訳した. ☛ 別項参照. 齒の事(現代の歯科矯正に関する部分を抜粋した) 凡小兒は産後七カ月を経れば大抵齒を生すれども或は三カ月にして齒を生するもありされど之は普通のものと言いかたじ然るに英國王リチャルド第二世の如く生れながらにして齒があるものあり其他此類の小兒往々舊記に遺れるを以て稀には世にあるものとみえたり然れども如斯の齒は永續せず常に脱落するものなり之に反して一年半或は二年を經るとも未だ齒を生ぜざるものあり偶には三四年に及ひ或は終年齒なきものあり1860年刊行の佛國醫事新聞に一老婆の齢八十五歳に至りて初めて齒を生じたるものを記載せし事あり總て之らの事は余が會て聞見したるものなれば錄して他日の参考に供せんとするのみ 〇小兒の初て齒を生ずるときは大抵齒數の二十枚程を□りて齦(はぐき)の上下に生出するものにて生齒は必らず一雙(ひとならび)づつ自然の順番ありて前後を違へざるものありとす最初には下齦に前齒の一雙を生じ續て上齦にも同しく一雙を生して後下齦前齒の兩傍X脇齒の一雙を生し續て上齒も亦斯の如し偶Xは下齦の前X八重歯を生するものXて八重歯は必らず下齒の七八枚目に堀起するものなり而して齨齒(おくば)は第一第二と二度X生出するものXて初X下の齨齒を生じ次に上の齨齒を生し續て下の目牙(糸切り歯)を先に生し上の目牙後に生するなり而して第二度めも亦た斯の如く概ね生齒は各人同様なれども偶には異同あるものなり大抵二年を經れば總て初生齒(はじめのは)の一列(ならべ)を生え揃もの故小兒の二歳になるものは凡齒數十六枚あり二年半になるものは凡そ齒數二十枚あるを通例とせり 雙:両,双,二つの 舊:キュウ.ふるい,もとの 注)齒数の単位は「枚」であった. X:に 而して:しかして.そして 斯(し):これ,この 〇 乳婆の常として兄の玩物(おもちゃ)を象牙の類を興ふるは最も宜しからさることなり小兒は物を咬み試むるものなれば堅牢にして撓ゆまざる物は兒の齦(はぐき)を損い齒に力を費な事多ければ小兒の□康に患害を興ふる事鮮少なら□由て小兒に興ふるは麵包軟革杯(ぱんやわらかきかわ)杯の如き撓軟(やわらか)なるものを好とするなり小兒之れらの如き撓軟なるものを咬み習ふときは齦及ひ齒の働き漸々自由となり将来果して飲食し易きなり 撓まざる:力を加えても曲がらない.しなわない 齦:はぐき 撓軟:やわらかき 〇 小兒の拇指(おやゆび)を甞むるは兒の爲に裨□あるものなり蓋し拇指は樹膠(ごむ)の柔軟(やはらかき)なる如し故に拇指を力□て小兒に甞(なめ)さするときは唾沫にて自から兒の口中を潤し物を哺吸する働を付くるなり特に小兒の未だ齒を損ふて□衝せる杯の□なく還て齒を生したるとき齦の働き最至便なり且小兒の憤悶して狂猖(くるふ)なるものに拇指を甞さして之を慰藉すれば自から安息して睡眠に就き易きものなり蓋し拇指は兒を安慰(だます)するの方便なれば何程甞させるとも決して小兒に妨けなきものなり泰西の□□杯には往々小兒の拇指を甞むる處あり實に□工の意匠能□兒の眞致(まこと)を摸寫したりといふべし 慰藉:なぐさめていたわる 〇 (拇指吸引癖について)初生の小兒一年程は拇指を甞むるとも憂ふべきことなけれども兒の齒全く生え揃ひ最早二年餘り生長したる時猶拇指を慕ふて息まさる時は自然常習たるの恐れあれば苦味あるものを拇指に少しく塗り付くべし然らば小兒は之を険悪して兒の偏癖(くせ)を矯(ため)るにゐと手易をきことなり 甞:しょう.なめる.舌で味わう. 矯める:矯正する 〇小兒七歳の頃には大抵齒の抜替るものにて初生齒の脱落(おつる)を待て生涯不易の堅固なる齒を生するものにて其順序は先つ初生齒の漸々緩み出し自然脱落する□成は之を抜きとり置ば同一の塲所へ二度生の齒容易に現るるなり初生の齒は二十枚なれども二度生の齒は追々生揃いて通例三十二枚あるものなり凡て二度生の齒は大切なれば平生注意し悪き不竝(ふならび)の齒を生せば早速老練の齒醫者に謀るべし 謀:ぼう.はかる.計画を立てる. 注)永久歯は大切なので,不揃いに生えた場合はちゃんとした歯醫者にかかるべし, 〇 齒を堅固に保つには毎朝□湯を以て楊枝(西洋の楊枝にてブラシと云ふ)にて叮嚀に裏表を磨き清潔にすべし□湯は普通の齒磨粉杯より功能多きものあり - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 参考:小嶋秀夫 明治初期の翻訳育児書 日本医史学雑誌 35(1):26- 1989. ゲッセル著 村田文夫訳 子供育草 上・下(明治7.1) アメリカ The Maternal Management of Infancy: For the Use of Parents. / by Frank Horace Getchell クレンケ・ハルトマン著 近藤鎭三訳 母親の心得 上・下(明治8.11)ドイツ チャアス著 澤田俊三訳 智巴士氏育児小言 初篇1・2(明治9.10)イギリス
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原著 Advice to a mother on the management of her children, and on the treatment on the moment of some of their role pressing illnesses and accidents / by Pye Henry Chavasse. 1869. 育児小言の中の「齒の事」にあたる Dentition (歯の事)は p.62- に記述がある.翻譯本には1975年刊行と記されているが,それに近い1869年の 9th ed. の英文内容(以下)と比較する.原書では,質問に答える形で構成されているが,内容は同じと思われる.上記リンク先は,1869, 9th ed. *cut one's teeth; 歯が生える 59. What is the number of the FIRST set of teeth, and in what order do they generally appear? The first or temporary set consists of twenty. The first set of teeth are usually cut in pairs. "I may say that nearly invariably the order is—1st, the lower front incissors [cutting teeth], then the upper front, then the upper two lateral incissors, and that not uncommonly a double tooth a double tooth:八重歯,かさなりば. 八重:八つ重なっていること.いくつも重なっていること.転じて数多く重なっていること.八重桜,八重垣,八重山 など.八重歯は犬歯ではなく,重なっている様相を表す言葉である.八重雲,八重垣のように全体の様相.乱排齒と同じ.当時は齒數の単位は「枚」であった.
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1879.9 明治12 |
小学校用 養生浅説釈解 全 |
小林義直 校閲 三田利徳 編輯 |
小林義直 校閲 三田利徳 編輯 『養生浅説釈解』 静観堂 明12.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/837263 熟語病名の解説がされている書. 永久歯:エイキュウシ 一生ヌケハラヌハ 歯列:シレツ ハノナラビ 永久歯: 齶: 切歯: 奥齒: 臼歯: 犬歯: 胃齒:下齶の犬歯ヲイフ. 眼齒:上齶ノ犬歯ヲイフ.☞ eyetooth 乳歯: 智歯: | ||
1879 明治12 |
The mouth and the teeth |
James William White 1826-1891 |
Each Book is sold separately, neatly bound in Cloth. Price, 50 cents, or
Subscriptions will be received for the Series of twelve Volumes. I. Hearing, and How to Keep It, By CHAS. H. BURNETT, M.D., of Philadelphia, Consulting Aurist to the Pennsylvania Institution for the Deaf and Dumb, Aurist to the Presbyterian Hospital, etc. II. Long Life, and How to Reach It, By J. G. RICHARDSON, M.D., of Philadelphia, Professor of Hygiene in the University of Pennsylvania, etc. III. The Summer and its Diseases, By JAMES C WILSON, M.D., of Philadelphia, Lecturer on Physical Diagnosis in Jefferson Medical College, etc. IV. Eyesight, and How to Care for It, By GEORGE C HARLAN, M.D., of Philadelphia, Surgeon to the Wills (Eye) Hospital. V. The Throat and the Voice, By J. SOLIS COHEN, M.D., of Philadelphia, Lecturer on Diseases of the Throat in Jefferson Medical College. VI. The Winter and its Dangers, By HAMILTON OSGOOD, M.D., of Boston, Editorial Staff Boston Medical and Surgical Journal. VII. The Mouth and the Teeth, By J. W. WHITE, M.D., D.D.S., of Philadelphia, Editor of the Dental Cosmos. VIII. Our Homes, By HENRY HARTSHORNE, M.D.-, of Philadelphia, Formerly Professor of Hygiene in the University of Pennsylvania. IX. The Skin in Health and Disease, By L. D. BULKLEY, M.D.,of New York, Physician to the Skin Department of the Demilt Dispensary and of the New York Hospital. X. Brain Work and Overwork, By H. C WOOD, Jr., M.D., of Philadelphia, Clinical Professor of Nervous Diseases in the University of Pennsylvania, etc. XI. Sea-Air and Sea-Bathing, By JOHN H. PACKARD, M.D., of Philadelphia, Surgeon to the Episcopal Hospital. XII. School and Industrial Hygiene, By D. F. LINCOLN, M.D., of Boston, Mass. PRESLEY BLAKISTON, Publisher, PHILADELPHIA. 第7巻として,「口と歯」 は,米国の歯科雑誌 Dental Cosmos 編集長であったホワイト氏によって書かれた. 1879, 1880, 1885版などが確認できる.その中の14章が 「歯の不整 Irregularities of the teeth」 となっている. The mouth and the teeth. [1879] The mouth and the teeth. [1880] The mouth and the teeth. [1885] CONTENTS. PAGE chapter I. Introductory 9 II. The Mouth 13 III. Anatomy of the Teeth . . . 32 IV. Development of the Teeth . . 44 V. Eruption of the Temporary Teeth . . 47 VI. Difficult Dentition 50 VII. Care of the Temporary Teeth . . . 60 VIII. Sixth- Year Molars 64 IX. Shedding of the Temporary and Eruption of the Permanent Teeth . 68 X. Nutrition of the Teeth . . 76 XI. Food in its Relations to the Teeth . 78 XII. Nervous Relations of the Teeth . . 84 XIII. Constitutional Peculiarities, Varieties, and Defects of the Teeth . . - 94 XIV. Irregularities of the Teeth . . . 98 XV. Tartar, or Salivary Calculus . . 106 XVI. Decay of the Teeth, or Caries . 110 XVII. Toothache—Extraction—Hemorrhage 117 XVIII. Hygiene of the Mouth . 126 XIX. Reparative Treatment . 138 XX. Substitution — Artificial Dentures 143 米国で出版後,その年のうちに日本に輸入された. @ 1879年 「齒乃養生法」 小幡英之介 閲,桐村克己 譯 A 1881年 「保齒新論」 高山紀齋 述 | ||
1879.10 明治12 |
齒乃養生法 |
小幡英之介 閲 桐村克己 譯 |
米國費府ノ齒科醫士ホワイト氏ガ著セル小冊子ヲ譯シ...とある. ホワイト 著 ほか 『歯の養生法』 桐村克己 明12.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836562 森山徳長 桐村克己著「歯の養生法」の原資料の疑義についての研究 日本歯科医史学会会誌 24(4) 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11513099 | ||
1880 明治13 |
改正教育令 | ||||
1880 明治13 |
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1880 | - |
Norman W. Kingsley 1829-1913 |
A Treatise on Oral Deformities as a Branch of Mechanical Surgery. / by Norman William Kingsley 1880.
歯科矯正学の父として知られNew York大学創設者でもあるKingsley(1829-1913)は,叔父のA. W. Kingsleyに学び,ボルチモア歯科医学校を卒業.Dental Cosmos誌に公表していた口蓋裂の歯列矯正に関する論文を1879年にまとめ1880年に歯科矯正学書 “A Treatise on Oral Deformities as a Branch of Mechanical Surgery” を刊行.口唇裂口蓋裂の詳細な記述を行ったこの本は,始めての系統的な歯科矯正学の書籍であり,歯科矯正学を,歯や顎骨の位置を移動させ,口腔内外の環境改善や審美性の向上や回復に貢献する歯科学の一分科として価値あるものとした.といったことが多くの教科書や引用文献に書かれている. | ||
歴史的宿命 @ 日本の歯科(歯科矯正)の受容時期による社会医学としての視座
ここでは、これらの課題に入る前提として、日本の近代化の過程において、近代西欧起源の「学問」を受容・継受した、いわゆる「輸入」したという歴史について一言触れておきたい。重要なことは、その時期が、欧米において「学問」が概ね専門分化を遂げた直後の19世紀後半であったという事実である。 特に、日本が受容した欧米の人文学及び社会科学とは、知の全体としての総合性や体系性を保とうとする「学問」というよりも、西洋社会において専門分化を遂げた「個別科学」であったのである。おそらく、このような歴史的な経緯が、その後の日本の「学問」の在り様を規定していると考えられる。このことは、「サイエンス」の訳語として、専門分化を前提とした「科の学」としての「科学」という日本語が当てられたということにも現れていると言ってよい。 このように、西洋社会において専門分化を遂げた「個別科学」を受容・継受したことが、結果的に日本の人文学及び社会科学の展開の中で、人間、社会、歴史、文明といったものを俯瞰しつつ総合的にとらえる視点の確立を阻害する要因として作用した可能性を考えることができる。この問題は、一種の歴史的な宿命と言わざるをえないものであるが、日本の「学問」の在り方を考えるに当たり、踏まえておくことが必要な視点と考えられる。 | |||||
出版年 | 和書名 |
編著の役割 と その人名 |
原書 と 著者名 | ||
1881 | - | - | |||
明治14 |
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高山紀齋
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1872渡米
当時の広告.山は Daniel のオフィスを受診した. 1878帰国
トーマス氏 比較解剖書/オーウン氏 齒牙論/カーレットソン氏 口科全書/ハーレイ 口内外科書/ヲーハア氏,ガブレイ氏 齒病書
ところが後の書誌研究から,保齒新論は1879年に米国で出版された The mouth and the teeth, Series
Title(s): American health primers. / by White, James William, 1879.
とそっくりであることが樋口らに報告された.実際に以下のリンクから確認すると,目次構成や図,その内容はそのままである. 最後に「鉄漿論」,いわゆる「お歯黒」を追加している.
高山が編纂の参考にしたという「ガレットソンの口科全書」には,orthodontia という語も含まれており,歯科矯正に関する部分は25ページにわたる.後に河田麟也によって翻譯出版され,河田麟也はorthodotia を 「齒の療法」 と訳した. 保齒新論は一般人向けの小冊子であり,この The mouth and the teeth を翻訳するにあたり,ガレットソンの書などのいくつかの専門書を参照して翻訳たというのが正しい解釈ではなかろうか.当然,orthodontia の存在などは何も書いていない.
当時の江戸末期から明治期の和本ではいろいろな決まりごとがあった(前記;和本入門 編著の役割と用語.橋口侯之介).翻訳書の著者名の後には,編著の役割として,以下のような用語の記述があり,保齒新論では 「山紀斎 述」 となっている. 纂(さん) :集めてそろえる.編集する 著(ちょ) :内容に創造性があり,書き手が責任を有す書物. 述(じゅつ):意見を述べた者という意味.人の言行を記述したもの.
編纂:いろいろの材料を集め,整理・加筆などにより書物にまとめる.纂述. 著述:書物を書きあらわすこと.著作. 編纂/纂述 :複数の書からまとめたもの 著/著述 :書物にあらわす 述:人の言行を記述したもの(保齒新論) 翻譯/共譯/〇〇氏著/譯述:翻譯したもの 筆記/口述ノ筆記:誰かの講義を記したもの
保齒新論では,「著」 が用いられず,「高山紀斎 述」 となっているのである.山氏も 「お歯黒」 をオリジナルとして追加されてはいるが,翻訳書であることを自覚していたのであろう.このため内容に創造性があり責任を持つ 「著」 ではなく,人の言行を記述した 「述」 を選択したのではないだろうか.本来は,譯術とすべきであり,和本の決まり事に従うと,保齒新論は日本で最初の歯科の著作物ではなく 「翻訳書」 になるのである.
樋口輝雄: "The Mouth and the Teeth" 初版本(1879) と 『保齒新論』(1881) について. https://dl.ndl.go.jp/pid/11496481
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保齒新論:鹺跌論(和文で7ページ) |
CHAPTER XIV.
IRREGULARITIES OF THE TEETH.
Irregularities of the teeth proceed from a variety of causes, among
which may be mentioned mechanical injuries, such as blows upon the mouth
; the presence of supernumerary or extra teeth ; a steady pressure, such
as is kept up during the habit of sucking the thumb or fingers, tongue
or lip, during childhood ; a too early extraction of some of the
temporary teeth, especially of the molars and canines ; a wrong
direction given to one or more teeth by a mechanical impediment, such as
the retention in the mouth of temporary teeth, or even roots of
temporary teeth, after the time when they should have been removed ;
hereditary transmission of dental peculiarities ; the incongruous
association of large teeth with small jaws, — a mixing without blending
of differing parental characteristics, — as, for instance, large jaws
and large teeth in one parent, and small jaws and small teeth in the
other; if the small jaws of one and the large teeth of the other be
associated in the offspring, the result will be an overcrowded denture.
Children with enlarged tonsils are liable to an irregular disposition of
the teeth as a result of the habitually open mouth caused by the
difficulty of breathing through the nose.
Fig. XXIV. illustrates the type of deformity resulting from the habit of
thumb-sucking. A similar protrusion of the teeth of the lower jaw is
produced by the habit of sucking the first and second fingers, the
weight of the hand and arm gradually forcing the teeth out of position.
In many instances children are allowed to retain the bottle from which
they have nursed, or are supplied with a sugar-teat, or are permitted to
suck the thumb or fingers, because of the quieting effect which this
occupation seems to produce. The resulting deformity of the jaws, and
the consequent irregularity of the teeth (crowding, overlapping, or
protruding), produces disfiguration and causes disabilities and
discomforts which remain throughout life.
Chief in importance in the list of causes of irregularity is defective
growth of the jaws during the development of the permanent teeth. In a
perfectly healthy person the teeth and the jaws would develop
harmoniously; but it is quite possible for one or the other, or both, to
suffer in development, according to the character of the disturbing
influence.
That the operation of some of the causes named may be clearly
understood, it must be remembered that previous to the eruption of the
teeth their roots are not closely embraced by the bony sockets, as they
are after they have erupted. During the development of a tooth the
socket is necessarily large enough to contain the crown, which is
comparatively so much larger than the root that, after the former has
emerged from the socket, the tooth is surrounded only by soft and
yielding tissues, and hence is readily diverted from its course by even
a very slight impediment. It must also be remembered that the size of
the crowns of the permanent teeth is determined long before their
eruption, and is not subject to subsequent modifications ; that the
development of the teeth and that of the jaws proceed independently of
each other, and that the teeth erupt according to their original
formation, even though the jaws be hindered in their growth. Bearing in
mind these facts, it is easily understood that any subsequent
interruption or interference with the development of the jaws must
necessarily result in a crowded condition of the teeth. It is to such
interruption, it is believed, that many of the irregularities witnessed
in the mouths of the present generation are directly traceable. If the
brain and nervous system be unduly stimulated; if more attention be
bestowed upon the child's manifestations of intelligence than upon the
growth of the body and the general vigor of the system, the muscular and
bony structures must suffer. An undue or precocious mental development
is attained at the expense of the rest of the organism. An indoor life,
late hours, stimulating food, overheated sleeping apartments,
surroundings which in any way invite and encourage mental precocity, can
result only in a disturbance of the proper balance or symmetry of
development — the bony and muscular systems and the functions of animal
life being sacrificed for the sake of a brilliant but probably brief
intellectual ascendency. During the first seven years of a child's life,
the brain and nervous system, far from being stimulated, should be
carefully, persistently, earnestly, anxiously guarded, and their
development repressed instead of favored. There is no necessity to teach
a child under seven years of age anything but morals and manners.
Whatever is added to these in the way of education tends to inharrripny
of development — a nervous and mental precocity at the expense of the
physical organism ; tends not only to a crowded denture, to imperfect
organization of the teeth, and to their early decay, but to a general
physical imperfection, and too often in addition to subsequent mental
incapacity or aberration. Out-door life, childish pursuits, plain and
wholesome food, long periods of repose — all things, in fact, which
favor the health and growth of the physical organism — promote the
health and growth of the jaws and teeth, and at the same time favor a
mental development which, though of slower growth, is likely to be
symmetrical, vigorous, and permanent.
It is much easier to avoid decided irregularities of the teeth by
attention at the proper time than to correct them at a later period. The
nutritive functions are more vigorous and the processes of absorption
and reconstruction more active in early life than subsequently. If,
therefore, changes of position of one or more teeth are necessary to the
correction of an irregularity, an easy adjustment is permitted in
childhood, which a few years later would be tedious, difficult, and
uncertain. One of the reasons for interference at an early period, when
a tendency to irregularity is to be combated, is because of the fact
that false positions of the teeth are made difficult of correction when
those of the opposite jaw in closing prevent them from assuming their
correct relation to the arch of the jaw.
The causes and forms of irregularity are so numerous and various that no
rules can be laid down for treatment. The natural expansion of the jaw
up to a certain period, the extent of the irregularity, the character
and condition of the teeth, the age of the patient, and various other
considerations, will determine the judgment of the dentist. Under the
care of a competent adviser, the prevention or correction of most forms
of irregularity is neither difficult nor problematical, if the proper
effort be made in time.
|
ホワイト氏の現代語訳 第14章 歯並びの不正 歯の価値は、装飾や発声のためだけでなく、咀嚼という実用面においても、顎の弓状のアーチにおける歯の位置が規則正しく、かつ、噛み合わせが完璧であるかどうかに大きく依存する。完璧な入れ歯では、上下の歯が噛み合う際に、それぞれの表面の凸凹がぴったりと合わさり、咀嚼に最も効果的な結果をもたらす。何らかの原因でこの完璧な噛み合わせが妨げられると、その有用性は多かれ少なかれ損なわれる。歯並びや噛み合わせの異常は様々であり、数も多い。その結果、不完全な咀嚼、それに伴う不調、発音の障害、歯の完全な清掃の妨げ、虫歯になりやすくなること、歯茎、舌、唇、頬の炎症、顔の変形などの不都合が生じます。 不都合の程度は、逸脱の性質と程度に応じて、多かれ少なかれ深刻であり、奇形は多かれ少なかれ顕著です。不正は、1本以上の歯の位置がずれているだけの場合もあれば、総入れ歯全体に及ぶ場合もあります。また、外的要因による場合や、歯と顎のサイズが不釣り合いであることが原因の場合もあります。1本の歯が軸を中心にねじれていたり、隣の歯と重なっていたり、歯列弓の内側または外側に生じていることもあります。後者のケースは、犬歯によく見られるもので、一般的に大きな悩みの種となり、顔の対称性を著しく損なうものです。また、上顎の前歯が下顎の前歯と重なり合うのではなく、端と端がぴったりとくっついてしまうことがあり、その結果、両方の歯の縁が急速にすり減ってしまいます。また、上顎の前歯が下顎の前歯よりも大きく外側に飛び出して下唇に触れてしまったり、上唇が歯を覆い隠せないほど突き出てしまうこともあります。別の歯並びの不整は、下顎の歯が上顎の歯の前に閉じることである。これは、犬では「下顎突出」として知られている。さらにまれな不整の形として、口を閉じたときに臼歯だけが接触し、前歯が離れてしまうというものがある。
歯の不整はさまざまな原因から生じますが、その中には、口への打撃などの機械的損傷、過剰歯や余分な歯の存在、幼少期に親指や指、舌、唇をしゃぶる癖がある場合に継続するような一定の圧力、
特に臼歯や犬歯の乳歯の早期抜歯、乳歯が抜けるべき時期を過ぎても乳歯や乳歯の根が口の中に残っているなど、機械的な障害によって1本以上の歯の生える方向が間違ってしまうこと、歯の異常が遺伝すること、
大きな歯と小さな顎の不釣り合いな組み合わせ、つまり、異なる親の特徴が混ざり合うこと、例えば、一方の親が大きな顎と大きな歯、もう一方の親が小さな顎と小さな歯である場合、もし、一方の小さな顎と他方の大きな歯が子孫に受け継がれた場合、結果として過密な義歯となる。 図XXIVは、指しゃぶりの習慣から生じる奇形のタイプを示している。同様の下顎の歯の突出は、第1指と第2指をしゃぶる習慣によっても生じ、手と腕の重みによって徐々に歯の位置がずれていく。 多くの場合、子供たちは哺乳瓶を保持し続けたり、砂糖入りのミルクを与えられたり、あるいは親指や指をしゃぶることを許される。これは、そうした行為が静寂をもたらすように見えるからである。その結果生じる顎の奇形、および歯の不整(叢生、重なり、突出)は、容貌を損ない、障害や不快感を引き起こし、生涯にわたって残る。 図XXIV. これらの癖を予防したり、初期段階で断ち切ったりすることは、癖が完全に形成されてからよりもはるかに容易である。しかし、子どもの吸う本能のために、心配する親にとって、予防や早期の矯正は容易ではない場合もある。砂糖入りの乳首は否定できる。哺乳瓶は使用後すぐに取り除くことができる。しかし、指や親指はそう簡単に処分できるものではない。おそらく、多くの場合、手の絶対的な拘束が必要になるだろう。母親または付き添いの者が、子供が起きている間は目を離さないようにすれば、甘やかしを防ぐのに十分である。しかし、睡眠中は特別な注意が必要である。これまで成功を収めてきた、シンプルかつ効果的な対策として、子供の夜着を袖なしで枕カバーのように作り、首の周りを紐で締めるという方法がある。むだな吸うという有害な習慣の悪影響から子供を救うために必要な努力は、決して苦痛であるとは考えられてはならない。 不整の原因のリストの中で最も重要なのは、永久歯が生える過程における顎の不完全な成長である。完全に健康な人であれば、歯と顎は調和して成長する。しかし、妨害する影響の性質によっては、歯か顎、あるいはその両方が成長の過程で苦しむ可能性は十分にある。 先に挙げた原因のいくつかの作用については、歯が萌出する前には歯根が骨のソケットにしっかりと包まれていないことを理解する必要がある。歯が成長する過程で、歯冠を収めるのに十分な大きさの骨のくぼみは必然的に大きくなり、歯冠は歯根よりも比較的大きくなるため、歯冠が骨のくぼみから出てしまうと、歯は柔らかく弾力性のある組織に囲まれるだけとなり、そのため、ごくわずかな障害でも容易に本来のコースから逸れてしまう。また、永久歯の歯冠の大きさは、歯が生えるずっと前に決定され、その後修正されることはないということ、歯と顎の成長は互いに独立して進むということ、顎の成長が妨げられても、歯は元々の形成に従って生えてくるということを覚えておく必要がある。これらの事実を念頭に置くと、顎の成長が何らかの理由で妨げられると、必然的に歯が叢生する結果になることは容易に理解できる。このような中断が、現代の世代の口の中で目撃される多くの不規則性に直接つながっていると考えられている。もし脳と神経系が過度に刺激され、身体の成長や全身の活力よりも子供の知性の発現に注目が集まる場合、筋肉や骨格の構造は苦しむことになる。過度な、あるいは早熟な精神発達は、他の器官の犠牲のもとに達成される。室内での生活、夜更かし、刺激の強い食べ物、暑すぎる寝室、その他精神の早熟を誘い助長するような環境は、骨格や筋肉のシステム、動物としての機能が犠牲になることで、知的発達が一時的に優れていても、おそらくは短命に終わるという結果をもたらすだけである。子供が7歳になるまでの間、脳と神経系は刺激されるどころか、慎重に、根気よく、真剣に、心配しながら保護されなければならず、その発達はむしろ抑制されるべきである。7歳未満の子供には、道徳とマナー以外のことを教える必要はない。教育としてこれらに加えられるものは、発育の阻害につながる傾向がある。すなわち、身体組織を犠牲にして神経と精神が早熟になる。叢生、不完全な歯列、早期の虫歯になる傾向があるだけでなく、身体全体に不調をきたし、さらにその後の精神的な能力不足や異常につながることも多い。戸外での生活、子供らしい遊び、質素で健康的な食事、長期間の安静――実際、肉体的な健康と成長を促すあらゆるものが――顎と歯の健康と成長を促進し、同時に、成長は遅いものの、対称性があり、活発で、恒久的な精神発達を促す。 適切な時期に注意を払うことで、歯の決定的な不整を避けることは、後になってから矯正するよりもはるかに容易である。栄養機能は、幼少期の方がその後の時期よりも活発であり、退化と再構築のプロセスもより活発である。したがって、不整を矯正するために1本以上の歯の位置を変更する必要がある場合、数年のうちに退屈で困難で不確実なものとなるであろう調整を、幼少期に容易に行うことができる。早期に介入する理由のひとつは、不正咬合の傾向と戦う必要がある場合、反対側の顎が閉じるときに歯の偽の位置が顎の弓への正しい関係を妨げるため、歯の偽の位置を矯正することが難しくなるという事実があるためです。 不正咬合の原因と形態は非常に多く多様であるため、治療のための規則を定めることはできません。ある時期までの顎の自然な成長、不整の程度、歯の性質と状態、患者の年齢、その他さまざまな要素を考慮して、歯科医が判断を下します。有能なアドバイザーの指導の下、適切な努力が適切な時期になされれば、ほとんどの不整の予防や矯正は難しくも問題もありません。 | |||
1882.10 明治15 |
齒の養生 |
高山紀齋 述 |
高山紀斎 述 『歯の養生』 島村利助 明15.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836561 | ||
明治18.10 | 1887.10 明治20.10 | 1890 明治23.1 |
| 齒科全書 後編 | 齒科全書 図解全 |
河田麟也 1863-1890
大月龜太郎 1845-XXXX
|
カーレットソン歯科書 Garretson, James Edmund, 1828-1895. A treatise on the diseases and surgery of the mouth, jaws and associate parts. 1st ed. 1869. Chapter VI. Anomalies of Second Dentition and their Surgical Relations のなかで,永久歯列の異常として7つに分類し,歯列弓内外側への萌出位置異常,歯列弓のスペース不足による異常に関する記述がある.Irregularities of the teethの章はなし | ||
Chapter XXI. IRREGULARITIES OF THE TEETH.p.478-494. 目次構成・翻訳文の整合性の一致から,「齒科全書」は,この原書第2版である.
Chapter XXI Irregularities of the Teeth
【歯科全書の和文と原典の英文】
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A system of oral surgery, being a treatise on the diseases and surgery of the mouth, jaws, and associate parts. 4th ed. 1884. Chapter XXVI. Operative Dentistry. Irregularities of the Teeth – Orthodontia. P.366 - 383がある | |||||
Chapter XXXI. Operative Dentistry. Irregularities of the Teeth – Orthodontia. P.523 - 543がある | |||||
Chapter XXXI. Operative Dentistry. Irregularities of the Teeth – Orthodontia. P.404 - 418がある. レイアウト技術進歩により,挿入図周りに本文が印刷されページ数減少.内容は同じ. | |||||
1886.2
明治19 |
高山紀齋
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1887 明治20 |
伊澤新平
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普頼克 (フラグ) 発題,普頼克 (フラグ)発題,宝倔斯 (フオルクス)応答, 伊澤信平譯述 『歯科問答 : 記臆捷径』 南山堂[ほか] 明20.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836510
亂排齒ノ復正術ニ於ル往々一二齒ヲ抜歯スルニ非レハ... という記述がある. | |||
【原書】 Mal-occlusion | |||||
1887.4 | - |
- |
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1888 明治21 |
- | - |
A Treatise on the Irregularities of the Teeth and Their Correction Including, with the Author's Practice, Other Current Methods: Designed for Practitioners and Students. Volume I. / by John Nutting Farrar. 1888. A Treatise on the Irregularities of the Teeth and Their Correction Including, with the Author's Practice, Other Current Methods: Designed for Practitioners and Students. Volume II. / by John Nutting Farrar. 1897. 復刻版が販売されている. | ||
1888 |
- |
- |
Irregularities of the teeth and their treatment / by Eugene S. Talbot. 1888.
Irregularities of the teeth and their treatment / by Eugene S. Talbot.
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1889 明治22 |
- | - | Orthodontia 歯科矯正学の初めての教科書: Orthodontia, or malposition of the human teeth : its prevention and remedy. / by Guilford, Simeon Hayden, 1st ed. 1889. Orthodontia, or malposition of the human teeth : its prevention and remedy. / by Guilford, Simeon Hayden, 2nd ed. 1893. | ||
明治22 |
|
|
パライト 著 小林義直 譯術 『歯科提要』 明治22. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/987702
渋谷鉱 ほか 「小林義直とその訳書」 『日本医史学雑誌』 36(1) 1990. 国立国会図書館デジタルコレクション
| ||
【 原著:ドイツ語版】Gustav Julius Parreidt 1849-1933
Compendium der Zahnheilkunde. Zum Gebrauche für Studierende und Aerzte. Mit 38 Abbildungen. / by Parreidt, Jul. 1886
第二章
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1889 | - |
- |
Orthodontia, or malposition of the human teeth : its prevention and remedy. / by Guilford, Simeon Hayden. 1st ed. 1889. | ||
Orthodontia, or malposition of the human teeth : its prevention and remedy. / by Guilford, Simeon Hayden 2nd ed. 1893 | |||||
Orthodontia, or, malposition of the human teeth : its prevention and remedy / by Guilford, Simeon Hayden. 3rd ed. 1898. | |||||
1890.1 明治23 |
通俗 齒の養生法 |
山紀齋 演述 門人 和田忠 筆記 |
高山紀斎 演述 ほか 『通俗歯の養生法』 有新堂 明23.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836557 | ||
1890 明治23 |
齒科學 |
渡邊良齋 |
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1890.6 明治23 |
衛生保歯問答 |
山紀齋 著 |
第29問:鹺跌齒の原因及其害ハ如何 との問があり. 高山紀斎 著 『衛生保歯問答』 高山紀斎 明23.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836461 | ||
1890 |
- |
Edward Hartley Angle 1855-1930 |
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1890.10- 明治23 |
高山齒科醫學院 講義録 第1巻 |
青山松次郎
本間仁次郎 筆記 |
『高山歯科医学院講義録』 第1巻 高山歯科医学院,〔 〕. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836543 山松次郎は,担当した病理学の種本として,ハリス齒科學第11版 (The principles and practice of dental surgery / by Chapin A. Harris. 11th ed. 1885.)を用いた. このハリス氏の11版には,Part Third. Dental Surgery. の Chapter I. が,Irregularity of the Teeth の章となっている.Treatment of irregularity を Orthodontia として,p.363-406まで,図による結紮法など詳細に述べられている. 講義では抜粋して講述された. その他,種本として,ガレットソンの歯科外科学/リッチの歯科業書(欧米先進の論文集)/ハンターの病理書/普通の病理外科書を参酌し,翻譯臭味を脱すべく努めたが,今日より見れば幼稚にして慙槐の至りである.又ハリス書中の矯正學を抜抄して講述した.と青山松次郎本人が当時を回想して述べている.(歯科月報16(8): 37-43, 1936.)
- - - - - - - - - - - - - - 高山歯科醫学院講義録第六巻(歴史)として講演・筆記された 「歯科学術沿革史」は,以下の論文を直訳したものであることが後に分かった.講義録には翻訳参考したことの記載はなく,学徳上アンフェアであることを中原,樋口が指摘している(検証・歯科医学史の書誌.日本歯科医史学会雑誌: 29(3)183-191,2012.).その中では Irregularityを,鹺てつ(齒失)p.251-258 と翻訳している. A History of Dental and Oral Science in America. / by James E. Dexter 1876. p.108-111: IRREGULARITIES(齒の不正)に関する記述.
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1892.8 明治25 | 齒科手術論 |
山齒科醫學院 編纂 |
https://dl.ndl.go.jp/pid/992473 第二章 歯列矯正及腐蝕予防法 p.61-70 がある. が,「第一大臼歯は,第二大臼歯が完全に放出していなければ抜歯してはならないが,歯列不正を矯正せんとするときに限りかまわない.蹉跌療法をする場合に限り第一大臼歯の抜歯は許される」といったことが書かれているのみである.鹺てつ(齒に失う)療法,歯列矯正の同時併用が見られる. | ||
高山齒科醫學院 編 『齒科手術論』 高山紀齋 1897. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1081992 | |||||
1892.9 |
山齒科醫學院 |
『歯科汎論』 高山歯科医学院 明25.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836499 第4章 齒形ノ異常及歯列不正 | |||
『歯科汎論』 再版 高山歯科医学院 明29.4. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836500 第四章 齒形ノ異常及齒列不正 「....齒牙ノ叢生セル部分...」 との記述あり. | |||||
1895 |
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- |
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- |
- |
The Angle system of regulation and retention of the teeth, and treatment of fractures of the maxillae / by Edward H. Angle. 1899. 5th ed. | |||
1896 明治29 | - | - | Four essays in special branches of facial and oral deformities / by Calvin S. Case. 1896. | ||
1898 明治31 |
- | - | Treatment of malocclusion of the teeth and fractures of the maxillae. Angle’s system | ||
1900 | - |
- |
Notes on the treatment of irregularities in position of the teeth / by J.F. Colyer. | ||
1900.3 明治33 | 1902.6 明治35 |
東京齒科醫學院講義録 第一輯(全16冊) |
- |
森山徳長 ほか 「東京歯科医学院講義録第一輯の書誌学」 『日本歯科医史学会会誌』 14(2) 日本歯科医史学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495217 | ||
1900.8 |
小笠原泰民
纂述 |
欧米大陸の名聲ヲ博セル齒科諸大家ノ著書を参照シ抜粋してまとめた. 小島原泰民 編 『差歯矯正術』 小島原泰民 明33.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836469 | |||
1901 | - |
- |
Quiz compend on irregularities of the teeth / by Eugene S. Talbot. | ||
1902.4 明治35 | 1904.12 明治37 |
東京齒科醫學院 歯科医學講義 第二輯(全18冊) |
- |
明治40 六版まで刊行された 森山徳長 ほか 「東京歯科医学院講義録(第二輯)『歯科医学講義』および(第三輯)『新纂歯科学講義』の書誌学」 『日本歯科医史学会会誌』 17(2) 日本歯科医史学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495621 | ||
1904 |
- | - | Orthodontia and orthopœdia of the face / by Victor Hugo Jackson. 1904. | ||
1904 | - |
- |
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1906 明治39 |
官報 10月30日 文部省令第17號 法令上の授業課目 矯正齒科學 各専門学校の 講義録刊行 はじまる |
「術」 から ↓ 「學」 へ |
(旧)医師法・歯科医師法の制定(医科,歯科が法的に二分された) 公立私立齒科醫學校指定規則が定められ,指定を為すべき授業内容として 必修科目:解剖學,生理學,病理学総論,診断学大意,薬物学,細菌学,外科学総論,歯科学を定め,歯科学の課目として,@歯科病理学,A口腔外科学,B歯科治衛學,C歯科技術學,D矯正歯科學(臨床講義共)を備えること,教員数,学生数に応じた患者数などの条件が法令で定められた. 大蔵省印刷局 [編] 『官報』1906年10月30日 日本マイクロ写真 明治39年. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2950344 | ||
1907.6 明治40 | 1911 明治44 |
新纂齒科學講義 全14巻(第三輯) |
- |
森山によると,全14巻は,1911年9月に合冊され,上・中・下巻の豪華本として出版された.また,1907年6月に第1冊を出版しとあるが,下記の
「矯正歯科学」 初版は3月に刊行されている. 森山徳長 ほか 「東京歯科医学院講義録(第二輯)『歯科医学講義』および(第三輯)『新纂歯科学講義』の書誌学」 『日本歯科医史学会会誌』 17(2) 日本歯科医史学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11495621 | ||
1907.3 明治40 |
新纂歯科学講義 矯正齒科學 前編 後編 |
佐藤運雄 著 |
【前編】 初版 明治40.3 再版 明治40.9 三版 明治41.3 四版 明治42.1 五版 大正元.9 六版 大正3.6 七版 大正7.4 【後編】 初版 明治42.2(1909) 再版 明治42.5(1909) 三版 明治43.5(1910) 『新纂歯科学講義』 矯正歯科学 東京歯科医学専門学校出版部 明43 三版 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836528 「叢生齒」 総論:欧米の歯科矯正の歴史について述べている. | ||
1907.5 明治40 |
- | - |
(旧)医師法・歯科医師法の制定により,参考書として東京齒科學院教科書および校生用として発行されている.当時の多くのあらゆる医学雑誌に以下の広告記載が確認できる. 広告の1例) 『好生館醫事研究會雜誌』14(3) 横井文庫 1907-05. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1476547 | ||
1907 |
- |
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1907.9 明治40 |
齒科學通論 前編(齒牙ノ部) 後編(口腔論) |
佐藤運雄 著 |
『齒科學通論』 前編 (齒牙ノ部) 増訂再販 齒科學報社,1907. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1082343 発行 明治40.3 再版 明治40.9 三版 明治41.3 四版 明治42.1 五版 大正元.9 『歯科学通論』 歯科学報社 大正1. 第五版 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/934654 p.390- 第15章 歯牙矯正術 Orthodontia 第一節 歯列不正ノ原因 第二節 矯正術ノ適應症 第三節 矯正ノ条件 第四節 矯正ノ原理 第五節 組織的變化 第六節 轉位齒の矯正法 第七節 捻轉齒の矯正法 第八節 齒長異常ノ矯正法 第九節 齒穹異常ノ矯正法 第十節 顎骨異常ノ矯正法 第十一節 外科的齒列矯正法 1919(大正8)年の訂8版においても,「歯科矯正術」となっている. | ||
発行 明治40.10 『歯科学通論』 後編 歯科学報社 明40 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836481 再版 明治41.4 三版 明治42.5 四版 明治44.2 『歯科学通論』 後編(口腔論) 歯科学報社 明治44. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088006 | |||||
1907.9 明治40 |
醫學大辞書 第4版 |
- |
医学大辞書編輯局 編 『医学大辞書』 同文館,明41-43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/832979/1/742?keyword=%E6%AD%AF%E7%A7%91%E7%9F%AF%E6%AD%A3 p.742-743 歯科矯正術(シカキョーセージュツ)は,以下の翻譯語として記載されている.(佐藤運雄) 羅 Orthodontia. 獨 Regulierung der Abnotmalien der Aahne. 英 Corrections of irregularities of teeth. 佛 Correction des irregularites des dentis. | ||
1908.10 明治41 |
醫學大辞書 上巻 下巻 第7版 |
佐藤運雄 |
医学大辞書編輯局 編 『医学大辞書』上巻 同文館 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1086780 上巻 p.1354-1355 歯科矯正術(シカキョーセージュツ)は,以下の翻譯語として記載されている.(佐藤運雄) 羅 Orthodontia. 獨 Regulierung der Abnotmalien der Aahne. 英 Corrections of irregularities of teeth. 佛 Correction des irregularites des dentis. | ||
1908 明治41 1921 大正10 |
- | - | A practical treatise on the technics and principles of dental orthopedia, including drawings and working details of appliances and apparatus for all forms of irregularities of the teeth. / by Calvin S. Case. 1908. | ||
1912.5 明治45 |
通俗 歯の養生法 |
石井衛太 |
石井衛太 編 『通俗歯の養生法』 歯科衛生普及会 明45.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/836556 | ||
1912 明治45 |
- |
- |
|||
1913.6 |
寺木定芳
著 |
寺木定芳 著 『歯科矯正学綱領』 歯科学報社 大正2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/934675 | |||
1913.11 大正2 |
A
dictionary of dentistry 齒科學辭彙 |
奥村鶴吉 編 |
Orthodontia.
齒牙矯正術,齒科矯正學 『A dictionary of dentistry』 齒科學報社 1913. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1679374/1/112?keyword=orthodontia | ||
1914 大正3 |
歯科診断学 |
佐藤運雄 著 |
佐藤運雄 著 『歯科診断学』 歯科学報社 大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/934681 第5編 齒牙現症ノ診査 p.369- | ||
1914 大正3 |
- |
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1914 | - |
- |
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Practical orthodontia / by Martin Dewey; revised by George M. Anderson ; with chapters by Bernard Wolf Weinberger [and others] ; and contributions by Sidney Riesner and E.B. Arnold. 6th ed. 1942. | |||||
Practical orthodontia / by Martin Dewey; revised by George M. Anderson ; with chapters by Bernard Wolf Weinberger [and others] ; and contributions by Sidney Riesner and E.B. Arnold. 7th ed. 1948. | |||||
Practical orthodontics / (original text by the late Martin Dewey); revised by George M. Anderson. / by Dewey, Martin 1955. | |||||
1915 大正4 |
歯科矯正学 |
北村一郎 述 |
予は齒牙矯正学 Orthodontie という代わりに,歯科整形學 Zahnaerztliche orthopaedie 或いは顔面整形學
Gesichts orthopaedie
と言いたいのである.なぜかといえば,この整形は単に齒並を直すだけでなく齒に関係する顎部の負傷,先天性,後天性畸形又は顎骨切除などを行える後の整形的治療もこれに含めたいからである. 北村一郎 述 『齒科矯正學』 日本齒科醫學專門學校出版部 [18--] 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1153159 東京帝国大学にて石原久教授とともに歯科学講義及び臨床実習勤務.医師. | ||
1914 大正3 | 1918 大正7 |
- | - | 第一次世界大戦 | ||
1917 |
奥村 鶴吉
|
を抄訳し梗概(こうがい;あらまし)を述べたもの | |||
1917 大正6 |
矯正齒科學 |
榎本美彦 著 |
榎本美彦 著 『矯正齒科學』 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1082327 | ||
1918 大正7 |
新しい英字 6版 |
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orthodontia 齒牙矯正學,齒列矯正術,美齒學 興味深いのは,orthodontia を行ふ人を orthodontist オーソドンティスト と云う。とある.米国でのABOは1929年からであるから,Angle Schoolの卒業生などであろう.欧米ではこの業を専門とする歯科医師がすでに存在していた.日本での歯科矯正の公的な評価制度のあらましが芽生えたのは1995年であり,国の公認制度は2024年ですので,制度整備にはまだ約100年の時間差があります. 少し先の報告ですが下記参照.
第1章 我が國における歯科矯正の現状
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1921 | - | - | - | ||
1922 大正11.11 |
通俗口腔衛生学 |
工藤陽太郎 閲 山口弘雄 著 |
山口弘雄 著 『通俗口腔衛生学』 大阪歯科医学専門学校出版部 大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/934773 第八章 齒列不正(齒並の惡い) 第一節 齒列不正と顔貌との関係 第二節 齒列不正の原因 一.内から原因するもの 二.外から原因するもの 第三節 齒列不正の矯正法と注意 | ||
1923.3 大正12 |
齒と健康 |
内務省 衛生局 |
日本國政府 内務省編纂の国民への啓発書である. この当時,歯列不正がある児童は,10歳位から12歳位になったならば齒列矯正術を受けさせねばならぬ.と内務省衛生局は強く推奨していた史実があった. → 歯列不正は,齒病(病気)であった. ※ なにゆえ,現在は病気でないとする転換がおこったのだろうか? 『歯と健康』 内務省衛生局 大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/934779 齒の養生法と主なる齒病 15 齒列不正 | ||
1926 |
- |
Weinberger, B. W. |
歯科矯正の歴史には欠かせない書.Weinberger は以下の4つの歴史の区分を用いた. First period (up to 1530) The origins of dentistry in the ancient worlds Second period (1530-1728) Earliest dentistry from its first book, "Artzney Buchlein" to Fauchard Third period (1728-1839) The emergence of dentistry. Pierre Fauchard - "Father of dental science" - to Chapin A. Harris Fourth period (1839-1870) Early orthodontia - Chapin A. harris to Norman W. Kingsley and John N. Farrer 歯科提要(小林義直翻譯)を著した Julius Parreidt について,2巻 p.621-622 に,顎の大きさに対する歯の大きさの不均等の原因についての記述が紹介されている.
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1926.6 大正15 |
矯正齒科學の實際 | 岩垣 宏 著 |
『矯正歯科学の実際』 歯苑社 大正15 国立国会図書館デジタルコレクション | ||
1926 |
- | - | |||
1926.11 大正15 |
MODERN DENTAL DICTIONARY ENGLISH=LATIN=JAPANESE 近世齒科字典 |
佐藤運雄 沖野節三 共著 |
orthodontia 齒列矯正學,矯正齒科學 dento-facial 齒牙顔貌矯正學となり,「術」 から 「学」 になった. 『Modern dental dictionary, English, Latin, Japanese』 Tōyō Shika Geppōsha, 1926. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1700483/1/428?keyword=orthodontia | ||
1929 昭和4 |
American Board of Orthodontia | - |
1929: American Board of Orthodontia 1938: American Board of Orthodontics アメリカ: 歯科矯正学の国家認定始まる ☞ See 1950. 我が国の歯科矯正の現状 | ||
1930.3 昭和5 | 矯正歯科學 | 高橋新次郎 著 |
『小児歯科学叢書』 第4巻 歯苑社 昭和5 国立国会図書館デジタルコレクション | ||
1930.3 |
矯正歯科学 |
高橋新次郎 |
初版 1930.
第3版 1935. 4 5 第6版 1947. | ||
1930.6 |
榎本美彦 |
第1版 1930. 第3版 1939. 『歯科学叢書』第10編 新纂矯正齒科學 歯科学報社 昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1051085 | |||
1930.7 昭和5 |
齒の常識と衛生 | 佐藤運雄 |
中小学校の教員向けに口腔衛生のことを書いたとある. 歯列不正の矯正の項(p.207-211)には,学童の齒牙検査の必要性,学校歯科の大なる使命について書いてある. 佐藤運雄 著 『歯の常識と衛生』 歯苑社 昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1050752 | ||
1931 昭和6 |
川上為次郎 |
A History of Dentistry. From the most ancient times until the end of the eighteenth century. / by Vincenzo Guerini 1909. を編修纂輯したものである.最終章「日本に於ける歯科医学の発展」は川上が加筆した. | |||
1934 昭和9 |
日本齒科醫學史 | 山田平太 |
山田平太 著 『日本齒科醫學史』 日本齒科文化史刊行會,1934. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1082360 | ||
1935.1 昭和10 |
最新 歯科學大辞典 |
歯科矯正の部 高橋新次郎 斎藤 久 岡田 滿 |
小磯東吾 編 『最新歯科学大辞典』 坂東三弘社 昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1049471 矯正歯科学 他に以下の記載項目がある: 矯正歯科診査法(岡田 滿) 矯正歯科用具(高橋新次郎) 矯正手術(高橋新次郎) 矯正手術と年齢(高橋新次郎,斎藤久) 矯正手術前の口腔診査(高橋新次郎) 模型に依る診査並に不正咬合の診断法 歯列不正矯正装置 歯列不正矯正装置の目標の確定と手術方針の決定 歯列矯正保定法 | ||
1935 昭和10 |
歯科矯正學要義 | 大庭淳一 |
大庭淳一 著 『歯科矯正学要義』 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1049689 | ||
1935 |
- |
- |
Applied orthodontics : an introductory text for students and practitioners of dentistry / by James David McCoy. 4th ed. 1935. Applied orthodontics / by James David McCoy. 6th ed. 1946 | ||
1935 昭和10 |
歯列矯正治療の話 | 松本茂暉 述 |
松本茂暉 述 『歯列矯正治療の話 : 健康及び美貌となる近道』 大日本矯正歯科学研究会 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1093539 | ||
1939 昭和14 11月29日 |
下顎変形症 Kostecka法手術 を我が国で初めて行った |
中村平蔵 |
わが国における顎矯正手術の歴史. 日顎変形誌 14(3)153-169, 2004. | ||
1940
昭和15 |
歯科医事衛生史 前巻 歯科医事衛生史 後巻 |
- |
『歯科医事衛生史』 前巻 日本歯科医師会 1940.10. 国立国会図書館デジタルコレクション | ||
『歯科医事衛生史』 後巻 日本歯科医師会 1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2426897 | |||||
1940 昭和15 |
山崎 清 |
山崎清 著 『歯科医史』 金原商店 昭15 国立国会図書館デジタルコレクション | |||
1940
昭和15 |
矯正の常識 | 高橋新次郎 |
高橋新次郎 著 『矯正の常識』 臨牀歯科社 昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1100236 | ||
1943 | - |
1900-1992 |
Principles and Practice of Public Health Dentistry / by J. A. Salzmann. 1937. Manual for dental technicians: with a supplement on acrylics / by J. A. Salzmann. 1938.
Principles of orthodontics / by J.A. Salzmann. 1943. Principles of orthodontics / by J.A. Salzmann. 1950. 2nd ed. 1. Orthodontics in Preventive Dentistry and Public Health2. Orthodontics and Prophylactic Orthodontics Salzman INDEX: ORTHODONTICS AS A PUBLIC HEALTH ACTIVITY
Salzmann の教科書は,戦時中(1943)に出版された.歯科矯正学の教科書としてヨーロッパ,北米,南米,世界中の大学で広く使用された.戦時中であったことから日本にはほとんど入ってこなかったようであり,図書検索WorldCat では見当たらない.Salzmann は公衆衛生概念(社会福祉)から歯科矯正医療の必要性を提唱し,米国公衆衛生局顧問をつとめ,マウントサイナイ病院の口蓋裂クリニック創設者であった.早くから歯科矯正を顔面障害と捉え,公衆衛生の視座(公平な医療資源の配分)の必要性を提唱した.このことは,日本での口唇裂口蓋裂患者へ医療保障が1982年に適用されたことを見ても,今現在においても,重篤な歯列不正による顔面障害への保障がなされていないわが国の現状と比べればよくわかる.わが国の歯科矯正医療は,欧米におけその社会適用の状況と半世紀もの相違がある.現在の日本の子どもたちにとって,不平等な歯科矯正医療へのアクセス現状は,過去の欧米諸国がたどってきた50年前の道をできるだけ早くたどることを望みたい.以下の記事からもよくわかる.
Special article| Volume 128, ISSUE 2, P252-257, August 2005 Orthodontics in 3 millennia. Chapter 4: The professionalization of orthodontics (concluded) DOI:https://doi.org/10.1016/j.ajodo.2005.06.001
20世紀初頭には,Case,Lischer,Dewey,McCoy,Strang が歯科矯正に関する文献増加に貢献したが,それぞれが自分の好むテクニックを強調した. 1943年になり,Salzmann が,歯科矯正に関わる幅広い問題を,包括的にカバーする初の「中立的」な概説書を出版した.進化,発生学,体格と顔の成長,生物学的年齢,歯列の発達,歯の形成と萌出などが含まれていた.
J. A. Salzmann (1900-1992) は,1906年にロシアからアメリカに渡り,1931年から1933年までマーティン・デューイの下でトレーニングを受けた.サルツマンは,その長く充実したキャリアの中で,マウント・サイナイ・メディカル・センターに口蓋裂クリニックを設立し,米国初の無料歯科プログラム(ニューヨーク市)を設立し,米国公衆衛生局の顧問を務め,不正咬合のサルツマン指数の開発に貢献したことで知られている.彼は New York Journal of Dentistry を26年間編集し,American Journal of Orthodontics の Reviews and Abstracts 編集者を41年間務めた.11冊の著書の1つである矯正歯科の実践(1966年)は世界的な称賛を浴びた.
Public Health の視座 1. 目前の診察治療での規範:
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1939 昭和14 | 1945 昭和20 | 第2次世界大戦 勃発 1941.12.8 - 太平洋戦争 終戦 |
歴史的な宿命 A: 世界大戦による影響: 公衆衛生に関する概念の伝来が途絶え,歯科矯正医療のあり方(社会医学)が停滞. ●Hellmanの指摘した歯科矯正学の問題点(Salzmannの教科書より 1954.) 現在の歯科矯正は,医療サービス全般の中で明確な位置を占めている.しかし,この位置づけは,精神解剖学と生理学の領域であり,病理学の領域ではない.この点で,歯科矯正学には2つの責任がある.ひとつは,子どもの発育,健康,保護に関する後見人としての役割であり,もうひとつは,必要が生じたときに矯正処置を施す機関としての役割である.この二重の責務を果たすためには,歯列に影響を及ぼす正常な発育の特殊性に関する詳細かつ詳細で具体的な知識だけでなく,個人全体に影響を及ぼす発育の複雑な知識も不可欠です.このような知識を備えていれば、矯正歯科治療の目的は,第一に歯列の発育を監督することであり,第二に緊急事態が発生した場合のニーズに応えることである.しかし,緊急事態が発生した場合,歯列のニーズは個人の特徴的な発育の特殊性に合わせて調整されなければならない.こうして,咬合の診断が本当の意味での発育の診断になるのです. ●口唇口蓋裂など顔面障害児への医療保障: アメリカ 1947年 イギリス 1948年 ドイツ フランス ・ ・ 日 本 1982年 口唇口蓋裂 1990年 顎変形症(外科的介入のみ) | |||
1946 昭和21 |
WHO 健康の定義 |
世界保健機関WHO憲章(健康の定義):1946/7/22に61カ国の代表により署名され,1948/4/7より発効. 健康とは、完全な肉体的、精神的及び社会的well-beingの状態であり,単に疾病又は病弱の存在しないことではない.到達しうる最高基準の健康を享有することは,人種,宗教,政治的信念又は経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本的権利の一つである | |||
1947 昭和22 |
日本国憲法 施行 5月3日 |
基本的人権の享有(第11条),幸福追求の権利の尊重(第13条),法の下の平等の原則(第14条)が明らかにされるとともに,@すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すること(第25条第1項)とされ,これを具現化するものとして,国はすべての生活部面について,社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない(第25条第2項)という国の責任が明確に規定された | |||
1947 昭和22 |
歯科矯正の現状 | 【終戦時の日本における歯科矯正の現状】 については,下記の書に記載されている. ☛ See 1950の項 Kleinの調査によると、1947年時点でのアメリカの矯正歯科専門医は1,351名に達し,全米歯科医の約2%だった.(日本では仮に50名とすると,大体全歯科医の0.2%).米国での専門医の36%は大学院で矯正学を専攻し、15%はABOの証明書をもっていた. 我が国においては,本年から新発足した歯科大学でやがては大学院を設立して矯正専門医の養成に努力すべきは論を俟たない所であった.と高橋新次郎は述べている. ☞ 以下参照. 第3章 全科医(General practitioner)は矯正治療をどう取り扱うべきか 第4章 予防的矯正の問題 1) 原因の探求 2) 原因の除去 3) 保隙装置の應用 4) 不正咬合の早期発見 5) 不正咬合の早期治療 | |||
占領下の歯科教育改革 現今に至る原点の検証 |
中原 泉 |
敗戦の余燼のなか,昭和20年9月から22年7月までの2年足らずの間,怒涛の占領下にあって,当事者はPHWとの共同作業により,ひたすら米国の歯科教育と医療体制を移植するべく奮闘した. その結果,歯科改革の原点となる (1)6年制歯科大学 (2)歯科医学教授要綱 (3)歯科医師国家試験 (4)社団法人日本歯科医師会等 すべて現今に至る体制がスタートした. 出典:中原泉: 歯科医学史の検証.占領下の歯科教育改革―現今に至る原点の検証.p.35, 2022. | |||
出版年 | 和書名 | 翻訳者 | 原書 / 著者名 | ||
1947 |
小歯科矯正学 |
岩垣 宏 |
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1947 昭和22 |
- | - | 歯科医師国家試験始まる | ||
1947.10 |
高橋新次郎 |
高橋新次郎 著『機能的顎矯正法: 理論と実際とその批判』 歯苑社,1947. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1371882 再販(第2版) 1948. 高橋新次郎 著 『機能的顎矯正法: 理論と実際とその批判』 歯苑社,1948. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1157537 | |||
1949 昭和24 |
- | - |
ORTHODONTICS AS A PUBLIC HEALTH ACTIVITY Am J Orthod, 35(3): 179-84. ☛ 今後の齒科教育のあり方—齒科大學教育に就いて— 高橋新次郎 日本歯科医師会雑誌 第2巻3号 p.1-4, 1949. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3423435 | ||
1949.5 昭和24 |
最新歯科学全書 第十三巻 齒科矯正學 第4版 |
高橋新次郎 |
初 版 1949 第4版 1953 松風陶歯製造株式会社 編 『最新歯科学全書』 第13巻 永末書店,1953. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2423205 日本の歯科矯正の歴史について始めて記載している.この中で,榎本美彦氏が... とあるが,寺木定芳氏以前の新纂齒科矯正學講義は,佐藤運雄によるものである.1次史料としての参考文献の年代がなく,高橋自身の記憶違いと断言できる. | ||
1949.7 昭和24 |
歯科學史提要 | 川上為次郎 |
川上為次郎 著 『歯科学史提要』 国際出版 1949. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1160047 | ||
1950 昭和25 | 予防矯正問題 | 斎藤 久 岩垣 宏 |
本書の出版経過は不明であるが,わが国最初の小児歯科診療所院長.戦後再建された日本学校歯科医会の初代理事長.東京医科歯科大学の口腔衛生学講座の初代教授.戦後初の私立歯科大学である愛知学院大学歯学部の初代学部長であった岡本清纓先生が責任編者となり,1950年時点における矯正歯科と政府の公衆衛生に関する考え方・あり方をまとめたものと思われる.☛ Salzmannの項 1943年も参照. Public Health Dentistry 予防矯正問題 予防矯正論 東京歯科大学教授 斎藤 久 1)歯科矯正専門家として 2) 学校歯科医に對して望みたいこと 3) 一般開業歯科医に對して望みたいこと 4) 厚生省歯科衛生課に對して望みたいこと 5) 文部省に對して望みたいこと 6) 小学校教諭に対して望みたいこと 7) 学校の養護教諭に協力を望むこと 8) 日本歯科医師会又は地方歯科医師会に対して要望すること 予防矯正の問題 日本大学教授 岩垣 宏 要旨: 1. 米国本土には、フルタイムまたは一般歯科と併用して矯正歯科を診療していると回答した歯科医が約1,351人いる。 2. 歯列矯正医は、アメリカにおける全歯科医のわずか2パーセントに過ぎない。 3. 歯科矯正医は、48の州とコロンビア特別区にそれぞれ1人以上いる。 絶対数が最も少ないのはノースダコタ州(1軒)で、最も多いのはニューヨーク州(208軒)である。 4. 歯科矯正医の集中度(人口10万人当たりの歯科矯正医数)は、カリフォルニア州とネバダ州で最も高く(2.5人)、ミシシッピ州で最も低く(0.1人)、特に州の一人当たりの所得に影響される。 5. アメリカの矯正歯科医の半数は12の州で開業しており、その大半は東海岸と西海岸にある。 6. 歯列矯正開業医の大部分は、単一のオフィスロケーションのみを維持しているが、約17%の開業医は、隣接する都市または隣接する州に2つ以上のオフィスロケーションを維持している。 高齢の開業医ほど、複数のオフィスを構える傾向がある。 7. 歯科矯正医(人口10万人当たりの歯科矯正医)の集中度は、人口100万人以上の大都市で最も高く、人口1万人未満の都市では最も低い。 8. 矯正歯科開業医の84%以上が、専門分野を独占的に診療していると回答している。 9. 矯正歯科開業医のうち、米国矯正歯科学会の認定証を保持しているのは15%未満である。 10. 矯正歯科開業医の約36パーセントが、大学での専門教育を受けたと回答している。
第3章 全科医(General practitioner)は矯正治療をどう取り扱うべきか 第4章 予防的矯正の問題 1) 原因の探求 2) 原因の除去 3) 保隙装置の應用 4) 不正咬合の早期発見 5) 不正咬合の早期治療 口腔衛生教育 衛生教育一般論 公衆衛生院部長 滋賀 秀俊 学校に於ける歯科衛生教育 文部省事務官 荷見秋次郎
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1955 昭和30 | - | - | 日本矯正歯科学会 再発足. | ||
1956 昭和31 |
矯正歯科 (歯科技工全書) |
滝本和男 |
滝本和男 著 『矯正歯科』 医歯薬出版 1956. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1376661 | ||
1956 昭和31 |
我が国における歯科矯正学の現状 |
- |
日本歯科医師会雑誌 8(12): 338-343,1956. 国立国会図書館デジタルコレクション | ||
1960 昭和35 |
高橋新次郎 |
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1961 昭和36 | 新編機能的顎矯正法 | 高橋新次郎 |
高橋新次郎 著 『新編機能的顎矯正法』 医歯薬出版 1961序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1378922 | ||
1963 昭和38 | - | - |
日本歯科医師会雑誌 15(12):23-36,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション | ||
1963 昭和38 | - | - | Handbook of Orthodontics. / by Moyer, R.E. 2nd ed. 1963. handbook of Orthodontics. / by Moyer, R.E. 3rd ed. 1973. Handbook of Orthodontics. / by Moyer, R.E. 4th ed. 1988. | ||
1963 | - |
- |
Technique and treatment with the light-wire appliances : light differential forces in clinical orthodontics [by] Joseph R. Jarabak [and] James A. Fizzell. 1963 | ||
1966 昭和41 | - | - | Clinical Orthodontics. / by Tweed C. H. 1st ed. - 2 Volumes. 1966. 中古市場では,$2,000程度で取引されている. | ||
1966 | 歯科外科的矯正の臨床 |
山根稔夫 |
A Clinic of Surgical Orthodontics. 1966. | ||
1971 |
|
三浦不二夫
|
Current Orthodontic Concepts and Techniques: Volume 1 / by Graber T.M. 1969.
Current Orthodontic Concepts and Techniques: Volume 2 / by Graber T.M. 1969.
| ||
Current Orthodontic Concepts and Techniques: v. 1 / by Graber T.M., 2nd ed. 1975.
Current Orthodontic Concepts and Techniques: v. 2 / by Graber T.M., 2nd ed. 1975. | |||||
1972 |
三浦不二夫 井上直彦
|
三浦不二夫, 井上直彦 共著 『ライトワイヤーテクニック』 医歯薬出版 1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12666279
2nd ed. 1983. | |||
1972 |
歯科矯正学 最近の進歩 |
- |
編集: 井上直彦, 黒田敬之, 布田栄作 『歯科矯正学最近の進歩』 医歯薬出版 1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12680892 | ||
1974- | 歯科矯正学
※1974年初版. 3版以降も編集者/著者されながら継続している日本の歯科矯正學の代表的教科書. と編集者が変わると歴史記述に大きな変更があることは別項に記載した. |
榎 恵 |
歯科矯正学 第1版 1974. | ||
歯科矯正学 第2版 1979. | |||||
歯科矯正学 第3版 1991. 飯塚哲夫ら 編集 | |||||
歯科矯正学 第4版 2001. 葛西一貴ら 編集 | |||||
歯科矯正学 第5版 2009. 相馬邦道ら 編集 | |||||
歯科矯正学 第6版 2019. 飯田順一郎ら 編集 | |||||
歯科矯正学 第7版 2024. 後藤滋巳ら 編集 | |||||
1975 昭和50 | 新編 歯科医学概論 | 正木 正 | 1965年: 「歯科医学概論序説(11)」 日本歯科評論に連載. 新編版 p.220に,「歯科矯正学という用語は明治32(1899)年に青山松次郎が歯科矯正学を高山歯科学院講義録のなかに書いたのが最初である」 との一文がある.連載にはこの一文はなく,加筆された.史実では明らかに間違いであるが,これを二次文献として引用した論文がいくつか見られる. | ||
1976.1 |
滝本和男 須佐見隆三 中後忠男 |
編集: 須佐見隆三, 中後忠男 『反対咬合 : その基礎と臨床』 医歯薬出版 1976. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12666362 臨床 反対咬合.1997.4. | |||
1976 昭和51 |
歯科矯正学ハンドブック 第3版 |
三浦不二夫 監訳 入江通暢[等] 訳 |
モイヤース 著 『歯科矯正学ハンドブック』 医歯薬出版 1976. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12666925 | ||
1st ed. 1958 2nd ed. 1963. Handbook of orthodontics for the student and general practitioner. / by Robert E. Moyers. 3rd ed. 1973. | |||||
1976 | グレーバー歯科矯正学 理論と実際 上・下 |
中後忠男 |
Orthodontics. Principles and Practice. / by T. M. Graber 3rd ed. 1972. | ||
1977 昭和52 |
- | - |
日本矯正歯科学会50周年記念特集号 座談会−創設期を振り返って− 日矯歯誌 第36巻第3号: 245-260, 1977. 1951.9.20に行われた座談会の記録の中に,Salzmann氏が来日され講演されたことが書かれている. | ||
1977 昭和52 |
Atlas歯列の成長 |
福原達郎 訳 |
Frans P.G.M. van der Linden, Herman
S.Duterloo 著 『Atlas歯列の成長』 医歯薬出版 1977.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12661511 | ||
1978 | 歯科矯正学実習書 実習総論 |
- | 技術を中心とした治療学の進歩は,不正咬合の治療効果を高め,治療に伴う歯根吸収などの障害を避け,術後の安定を一層確実にするための努力の表現であって,このこと自体,非難されるべきではない.しかし,一方では,技術的進歩のみが独走して,そのあとにかずかずの矛盾が残されたという面がないとはいえない.とくに,歯科矯正学の学問体系に関する総論的な考察が遅れ,矯正治療の意義と目的とは,ともすれば不明瞭となり,このため歯科矯正学は,学生諸君からも,そしてときには矯正専門医からも,あたかも美容整形技術の一部であるかのように受け取られる結果を招いている.歯科矯正学は,現在,もう一度そのあり方について考える時期に来ているといえる.そして,学問の進歩とともに,また時代の流れと社会の変化とともに,常に考え続けるものでなければならない | ||
1979.2 |
アトラス 歯科矯正学の基本理論 |
三谷英夫 訳 |
Raymond C.Thurow 著 ほか 『アトラス歯科矯正学の基本理論』 書林,1979.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12682077 | ||
Atlas of Orthodontic principles.
by Raymond C Thurow Hardcover 231 pages, Mosby. 1st ed. January 1, 1970 2nd ed. 1977. | |||||
1978 1980 |
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山内和夫 |
Lehrbuch der Kieferorthopädie. Band 1. / by Christian Schulze. 1975.
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Lehrbuch der Kieferorthopädie. Band 2. Die Kieferorthopädische Behandlung mit abnehmbaren Geräten einschließlich der sogenannten Extraktionstherapie und Rezidiv Verhütung. / by Schulze, Christian. 1981.
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Lehrbuch der Kieferorthopädie. Band 3: Die normale und abnorme Gebiss Entwicklung. / by Schulze, Christian. | |||||
1981.2 昭和56 |
滝本和男 山内和夫 作田 守 |
山内和夫, 作田守 編集 『上顎前突 : その基礎と臨床』 医歯薬出版,1981.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12667064 | |||
1981.9 昭和56 |
滝本和男 松本光夫 中川皓文 |
松本光生, 中川皓文 編集 『叢生 : その基礎と臨床』 医歯薬出版 1981.10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12667016 | |||
1982 | - | - | 口唇口蓋裂の公的医療保障 | ||
1984 | 可撤式矯正装置の臨床 |
中後忠男 T. J. 青葉 松本光生 出口敏雄 吉田建美 浅井保彦 訳 |
T.M.グレーバー, B.ノイマン 著 『可撤式矯正装置の臨床』 医歯薬出版 1984.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12660217 第5章 機能的顎矯正装置—その概念と変遷— | ||
Removable orthodontic
appliances T. M. Graber, Bedrich Neumann | |||||
1985 | 2023 | - |
- |
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, T. M. 1st ed. 1985. | ||
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, T. M. 2nd ed. 1994. | |||||
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, T. M. 3rd ed. 2000. | |||||
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, T. M. 4th ed. 2005. | |||||
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, Lee W., Vanarsdall, Robert L., Jr., Vig, Katherine W. L. 5th ed. 2012. | |||||
Orthodontics: current principles and techniques. / by Graber, Lee W., Vanarsdall, Robert L., Jr., Vig, Katherine W. L., Huang, Greg J. 6th ed. 2017. | |||||
Orthodontics: Current Principles and Techniques. / by Graber, Lee W., Vig, Katherine W. L., Huang, Greg J., Fleming, Pádraig 7th ed. 2023. | |||||
1989 |
作田 守 高田健治 |
Contemporary Orthodontics. / by Proffit W. R. 1986.
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1990 | - | - | 顎変形症の公的医療保障開始 | ||
1994 | - | - | 子ども権利条約に批准・発効: 第24条 締約国は,到達可能な最高水準の健康を享受すること並びに病気の治療及び健康の回復のための便宜を与えられることについての児童の権利を認め,いかなる児童もこのような保健サービスを利用する権利が奪われないことを確保するために努力する.基礎的な保健の発展に重点を置いて必要な医療及び保健をすべての児童に提供する.児童の健康を害するような伝統的な慣行を廃止するため,効果的かつ適当なすべての措置をとる. | ||
1995 | 歯科矯正学入門 | 福原達郎 |
福原達郎 著 『歯科矯正学入門』 医歯薬出版 1995.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13615044 | ||
1995 | - | - | 学校歯科健診に歯並びの項目が追加 | ||
2004 | 新版 プロフィトの現代歯科矯正学 |
高田健治 |
Contemporary Orthodontics. / by Proffit W. R., Fields H. W. Jr., 2nd ed. 1992. | ||
Contemporary Orthodontics. / by Sarver, David M., Proffit, William R., Fields, Henry W., Jr. 3rd ed. 1999. | |||||
4th ed. 2007 | |||||
5th ed. 2013 | |||||
Contemporary Orthodontics. / by Proffit, William R., Fields, Henry W., Jr., Larson, B.E., 6th ed. 2018 | |||||
Contemporary Orthodontics, 6e: South Asia Ed. by William R. Proffit, Henry Fields, Brent Larson, David M. Sarver. 6th Ed. 2019 | |||||
1992 |
山内和夫 作田 守 |
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2003 |
日本の歯科矯正学の歴史 (T) (II) (III) (IV) |
- | 花田晃治 「日本の矯正歯科学の歴史」掲載にあたって 「「日本の矯正歯科学の歴史」掲載にあたって」『Orthodontic waves : journal of the Japanese Orthodontic Society : 日本矯正歯科学会雑誌』62(2),日本矯正歯科学会. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10631625 (参照 2024-10-08) 鈴木祥井,石川富士郎,大野伴粛英 日本の矯正歯科学の歴史(T) 序.Orthod Waves 62(2): 75-95, 2003. ☞ 誤引用については,下記 2010年のセル に記したので参照されたい. 鈴木祥井,石川富士郎,大野伴粛英 日本の矯正歯科学の歴史(U) 第2章 大正デモクラシー下のわが国の矯正歯科学 Orthod Waves 62(2): 96-122, 2003. 鈴木祥井,石川富士郎,大野伴粛英 日本の矯正歯科学の歴史(V) 第3章 日本矯正歯科学会の草創期(1926〜1936)Orthod Waves 62(5): 279-310, 2003. 石川富士郎,鈴木祥井,大野伴粛英 日本の矯正歯科学の歴史(W)—発展期から現在まで— 日本矯正歯科学会の組織と構成 Orthod Waves 62(5): 311-331, 2003. 歴史学は史料批判によってその精度高めていくことができる. 広島にて始めて西洋歯科醫術を行ない業を成した人物は,備前岡山出身の青山千代次であった.彼は高山紀斎の一番弟子であり,明治17年3月に齒科開業免狀一號を得た人物である. 兄:青山松次郎によると,「鎮台(ちんだい)」 というその地方の守備に当たる軍隊として,明治初年に各地に駐在された軍隊(1871年(明治4)に東京・大阪・鎮西(小倉)・東北(石巻)に設置。1873年に東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の6か所が加えられたが,1888年に師団と改称)の当時の鎭臺司令長官 野津道貫(のづみちつら)中将(明治18年5月21日〜明治21年5月12日,明治21年5月14日より第五師団長)と鎮台病院長の瀬軍医監よりの勧誘に応じて広島の細工町にて開業し,治療に来る患者も多く名声も得られたが大変多くのたが,住所を1885年(明治18)12月に安芸の廣島に開業したが,翌1886年3月5日に急性肺炎のため歿すとの記事があった.(齒科醫學叢談第五號,1(5)43-46, 1986 故齒科醫青山千代次君行状).実兄の青山松次郎により行状(生前の行動や業績・履歴などを記したもの)が記述されている. これによると,青山千代次は元治元年三月に備前岡山に生まれ,XXXXXXXXXXXX住所は細工町であった.細工町は,現在の中区大手町一丁目の一部で,原爆投下の際の爆心地である島病院がこの町内に位置していたことで知られている.治療を求めるものは多く名声も多かったが急性肺炎に罹り歿す.猫屋町妙ヘ寺に葬られ,遺骨を分け東京谷中村に分骨」とある. 廣島縣齒科醫師會史や廣島縣郡市齒科醫師會史には,富永省吾をもって広島における歯科医師の嚆矢とすると記述されている.史実の訂正が必要ではないかと思われる. 広島で二番目に歯科医として富永省吾は安政4年7月10日,肥前国大村の大村藩士の家に生まれた.岩倉使節団に加わり「医制」を立案した長與専齋のもとで醫學を修め,明治10年に小幡英之助の門下に入りて齒科醫學を修め,明治13年開業試験を東京府にて受け合格した.当社は東京市京橋肴町にて開業していたが,横浜へ移り,明治17年山口病院の医員となり19年にこれを辞し,1886年(明治19)に廣島市中町で開業した. この青山千代次は,明治17年3月実施の歯科医術開業試験合格者第一号で,歯科医籍第1号に登録(官報明治17年11月5日号で公告)されている.そして,彼の実弟である青山松次郎が歯科矯正の歴史によく出てくる人物である. 青山松次郎は高山歯科医学院にて病理を担当していたが,鈴木らによると,この青山がはじめて「矯正歯科」なる言葉を用いたと岩垣が述べていることを,「日本の矯正歯科學の歴史」で記述しているが,これは当時の情報伝達の遅かった時代ゆえの岩垣の間違いではないかとの結論にいたった.著者が渉猟したところ,矯正歯科の人物史まで掘り下げたものはまだなく,今回その核心に迫ってみた. 【広島における歯科・歯科矯正の歴史】: 1913年(大正2)の学校案内:「齒科醫師遊學案内(北村宗一編,豊文堂,大正弐年)」,それぞれの歯科医学校は,夜間授業で午後6時から10時まで,週15時間程度と書かれている.修行年限は2年から3年であった.醫術開業齒科試験の必修科目である解剖学,生理学,薬物学,病理学,口腔外科學,歯科治療学,歯科技工学などの他に,広島歯科医学校では,矯正齒科學も講義されていた.受持講師は山瀬 優であった. 山瀬勝氏について検索を続けていると,中国新聞ならびに歯科医師会会史に記録が残されていた.昭和7年より広島市歯科医師会会長を務められた方であったが,あの1945(昭和20)年8月6日の朝,元柳町(現在の平和公園内)のオフィスで診療準備を行っていたところで原爆投下にあったことが記録されていた.中国新聞社の死没者名簿より引用しご冥福をお祈りいたします. 広島歯科医学校は,その他の教員もほとんどが死亡したため自然廃校になった.広島における矯正歯科学の講義は,佐藤もしくは寺木の教科書が用いられたと思われる. その後,これらの医学校や歯科医学校は,専門学校令によって歯科医学専門学校にまとめられ,新制大学へと移行する. 1958年(昭和34)11月23日には,高橋新次郎の元で歯科矯正学を習得し,倉敷中央病院歯科にて矯正歯科治療を行っていた對木桂次を会長として 「中・四国矯正歯科学会」 が創立された. 中・四国地域にはまだ新制大学の歯学部はなかった.当時の對木の回顧録による,当日は 100名程度の開業歯科医師が出席し学会がスタートしたとのことである.おそらく廣島齒科醫学校出身の歯科医師も多くおられたのではないかと思う. | ||
2008.5 |
歯科矯正学専門用語集 Glossary of Orthodontic Terms 2008 |
日本矯正歯科学会 編 |
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2010.9 |
高田の 歯科矯正の学び方 わかる理論・治す技術 |
高田健治 |
Part 1 歯科矯正学とその目標 Chapter 1 歯科矯正学の歴史 3 わが国における矯正歯科の黎明期 >> 以下原文のまま. わが国の矯正歯科の事情については,鈴木ら11が詳しく記している.以下,彼らの論文より要約引用すると,わが国で初めて咬合異常に関する言及が見られるのは,高山紀齋(1850-1933)が1881年(明治14年)に著した『保齒新論』である.その前年には,アメリカで Kingsley が前記した "Treatise on Oral Deformities" を上梓している.高山の執筆した 『高山齒科學院講義録』 には,青山松次(1867-1945)によって,「齒科矯正學」 という用語が初めて用いられたことが記録されている.高山が学術活動を開始してわずか11年後,榎本積一によりわが国で最初の咬合異常の治験例が報告されている.近代医学の習得にいそしむ明治人の面目躍如といえよう. | ||
歴史認識に関する疑問点(史料批判)を以下に挙げた. @ 咬合異常:保齒新論では irregularity of the
teeth の域であり,咬合異常 mal-occlusion の概念はあったのだろうか
鈴木祥井 ほか 「日本の矯正歯科学の歴史(I)」 ◎ 鈴木らの報告で重要な点は,「しかしその1年前(1889年),パライトの著書を翻譯した小林義直の 「齒科提要」 にすでに 「矯正」 という語がでている」 という一文である.これはすでに森山らによって詳細な報告がなされているのであるが,歯科矯正学会や歯科関係者が取り上げられることがほとんどないのである.こうした歴史の偏好・歪曲については,別項(歴史認識の偏りはなぜおこるのか)を参照されたい. E 岩垣によると... への史料批判として; 以下の史料から,「岩垣によると... 」 という引用が多くなされ,迷信となっているのであるが,明治23年(1890)の血脇は慶応義塾を卒業して東京新報社で新聞記者をしており,佐藤運雄とともに共著出版することはありえないのである.血脇守之助が高山齒科学院へ入学したのは明治26年であるから,岩垣の間違いである.歴史を記述する本人が1次史料原典の確認をしなで,過去の記述を鵜呑みにすること,それを地位のある人物が書いたり,話すことで事実は迷信となり歴史がゆがめられてゆくのである.正木,鈴木らもこうした罠にはまり,間違った迷信や言い伝えの引用によって日本の歯科矯正の歴史に偏好が生じてしまったといえる.
岩垣宏 F わが国で最初の咬合異常の治験例:榎本関一の演説(講演)は,亂排齒(現在の用語でいうと,上顎右側の犬歯唇側転位,側切歯の口蓋側転位といった前歯部叢生)に加えて,同側の第一大臼歯の重度う蝕の症例であった.これを第一大臼歯を抜歯し,小臼歯を遠心移動して叢生の改善を行ったようである.当時はまだ咬合異常(上下の齒の咬み合わせ)に対する概念はなかった. 『歯科研究会月報』(23) [歯科研究会] 1892-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1506962
【まとめ】 原典史料から,正確な記述を行うとすれば,以下のようになるのではないだろうか. この明治期においては,1906年に(旧)歯科医師法が定められ,矯正歯科学の講義が文部省令によって課せられるようになった.当時の歯科矯正に関する教科書は,小林義直の「歯科提要」,高山紀齋の「保齒新論」ぐらいしかなかった.(青山松次郎の回想に記載されているので参照ください) このため学院では学生たちの便宜を図るため,講義内容を記録し,配布販売を行っていた.矯正歯科學の講義を担当した青山松次郎は,いろいろな海外の書物を種本として,かいつまんで講義をした.これを筆記者がまとめ 「高山齒科醫學院講義録」 とした.その 「齒科一班」 の中には,歯の不整に関して述べた部分がある. 鈴木らは,この中に(現代の)歯科矯正学に該当する部分があり,これを青山松次郎が執筆していると書いている.これが誤解を生んでいるようである.青山松次郎が講演(授業)したものを,筆記者がまとめて講義録としたのであり,高山紀齋の著というわけでもない.講義録の中には,「歯科矯正學」という用語もなく,その中では 「矯正」 という言葉が用いられているだけである.現代の歯科矯正学にあたる内容であったことが,歯科矯正学と書かれていると誤解されることがあるようである. 重要な点は,この講義録の刊行1年前に,小林義直譯述の 「歯科提要」 において,orthodontishe behandlung が 「歯列矯正術」 と翻譯されている.ということ.1次史料からも確認できた.
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2016 | FDI | - | 口腔の健康の新しい定義: 口腔の健康は多面的な概念であり、痛み、不快感、頭蓋顎顔面複合体の疾患がなく、自信を持って話し、微笑み、嗅覚、味覚、触覚、咀嚼、嚥下、そして表情を通して様々な感情を伝える能力を含みます。口腔の健康は、生活の質を高めるために不可欠な生理的、社会的、心理的特性を反映しています。 | ||
2019 | FDI | - | 口腔の健康と歯科矯正の再定義.必要な歯科矯正への財政援助を提言 |
成書4)によると,顔面の変形の中で歯の叢生について最初に記述した人物は,古代ギリシャの医者ヒポクラテス(Hippocrates, BC460〜377)とのことです.しかし,その文章は,”Among individuals whose heads are elongated, some have a big neck and strong members and bones; others have an arched palate, teeth arranged in an irregular fashion, topsy-turvy, and they suffer from headache and otorrhea.(英訳)” と記述され5),残念ながら二千年前,僕自身で実際の実物出典6)を確認できませんでした.歯が凸凹しているという記述でのみです.世界中に実際にこれを確認した人はいるのか不明です.定説というのは時として史実ではないこともあります.
当時の書物は,パピルスや羊皮紙に記録されたもので,複製するには書き写しするしかありませんでした.複製を多く作る場合は,誰か一人が書を読み,複数人がそれを聞きながら書くという手法のため,書き間違いが起こります.こうした時代に新しい知識や発見・思想を,異なる遠い地域に広く啓蒙し伝えるということには,大変な年月を要しました.このケルススの書も1478年(グーテンベルグによる活版印刷技術の発明後)になって初めて印刷されました.今日ではこうした 「古書」 のデジタル化により,いつでも誰でも自宅で読むことができます.本文にはハイパーリンクリンク処理をしていますので,ぜひ自分自身で」1次史料をご確認してください.
― 中世から近世のヨーロッパにおける Orthopedia(cs) / Orthodontia / 齒科矯正學
活版印刷技術は,情報伝達のスピードを速め,科学革命に貢献しました.16世紀以降のヨーロッパでは,医学・歯科学に関する多くの書籍が出版されてゆきます.フランスの Pierre Fauchard,イギリスの John Hunter,ドイツの Philipp Pfaff の三人が,近世歯科医学を開拓した三大偉人とされています.
現代のデジタル社会では,出版業者へ pdf ファイルを送ると 3-4 日後には冊子が完成します.何百年も以前には,出版物によって新しい知識や考え方が伝達されるには,大変な時間と労力を要し,何十年や何百年もかかることが通常でした.例えば,Fauchard の書籍は,1719年から1723年に書き上られ,校正を続け,1728年に刊行され,ヨーロッパ全域で受け入れられました.しかし,当時は知識を共有するという慣習がなく,同業者からは廃業したといううわさが流されたそうです.5年後にドイツ語に翻訳され,英語に翻訳されるまでに200年を要しています.
矯正歯科學の目的は時と共に変化し,その始まり,The irregularity
of the teeth の修正は,見た目を良くすることから始まったようです.「美」.見た目を治すという目的で,指で押すという方法からはじまり,多くの先人の知恵と努力の継続とひらめきによって,様々な装置が考案され,しだいに複雑化し,咬合関係や顎発育も考慮され,他の医療分野とも連携する分野となってきたようです.基本的人権としての健康で文化的な生活は,病気であるかどうかというだけでなく,社会的にも精神的にも満足されたものであることは,もうずっと以前より世界的な常識となっています.誰でもっひっ.
― フランス
山氏の翻譯による日本語版では,「矯正」という日本語が使用されています.原文に「矯正」というフランス語はまだなく,dérangement des dents 歯の乱れ,mal arranges 位置異常,les dresser 正す,といったフランス語を「矯正する」といった記述をされています.Orthodontia の用語もまだ用いられていません.
そして,Fauchard の支持者であった Etienne Bourdet (エチエンヌ ブルーデ1722-1789)は,1757年の書籍 ”Recherches et observations sur toutes les parties de l’art du dentiste.”の第二巻 の中でFauchard のプレートを改良し,右図のような弯曲した装置を考案しています.叢生の改善のための 「便宜抜歯」 とし
1741年には,Orthopedics という用語が,Nicolas Andry de Bois Regard (1658-1672)による整形外科の書籍 ”L’orthopedie” で始めて用いられました.よく整形外科の教科書にある右図はこの書籍のものです.1743年に,Robert Bunon (1707-1749)は,歯と顎骨の不調和について記述していますが,Orthodontics という用語はまだ用いられていません.まだ100年先にならないと使用されなかったようです.
― ドイツ
― 英国
Orthodontics という用語が用いられたのはこの少し後の 1839年のことです.Jacques Lefoulon によって始めて,ギリシャ語の 「まっすぐ」 を意味する ”orthos” と,「歯」を意味する
”odontos” から創られました.
医史に関する調査研究では,1次史料,原典史料を自分自身ので読むことが最重要課題であることが 「医学の歴史」 を書かれた酒井氏によって述べられています.読者のみなさんもリンク先より原典にアクセスし,一般の歯の不正 irregurality も含め,病因,疫学,治療法や症例も交えて記述されている全21章の内容についてご覧ください.
この時代のもう一人の人物,Angleと抜歯論について議論したCalvin Suveril Case (1847-1923)については 下記に文献をご参照ください.
Baker CR. Calvin Suveril Case. Int J Orthod Dent Child 1957;43: 210-8.
Bernstein L. Edward H. Angle versus Calvin S. Case: extraction versus nonextraction. Part I. Historical revisionism. Am J Orthod Dentofacial Orthop 1992;102:464-70.
Bernstein L. Edward H. Angle versus Calvin S. Case: extraction versus nonextraction. Historical revisionism. Part II. Am J Orthod Dentofacial Orthop 1992;102:546-51.
No author given. Editorial: Edward H. Angle and orthodontia. Int J Orthod Dent Child 1915;1:41.
Noyes FB. Edward H. Angle. Int J Orthod Dent Child 1957;43: 132-4.
その後,とてもたくさんの先人の功績によって,エッジワイズシステムは,ワイヤーやブラケットという装置の特性や形状の改良といった持続的イノベーションが加えられ現在に至っています.
Orthodontics in 3 millennia.
by Norman Wah
American Journal of Orthodontics and Dentofacial Orthopedics
Chapter 1: Antiquity to the mid-19th century
Vol. 127 Issue 2p255–259 Published in issue: February 2005
Chapter 2: Entering the modern era
Chapter 3: The professionalization of orthodontics
Vol. 127 Issue 6, p749-753, JUNE 01, 2005
Chapter 4: The professionalization of orthodontics (concluded)
Vol. 128 Issue 2 p252–257 Published in issue: August 2005
Chapter 5: The American Board of Orthodontics, Albert Ketcham, and early 20th-century appliances
Vol. 128 Issue 4 p535–540Published in issue: October 2005
Chapter 6: More early 20th-century appliances and the extraction controversy
Vol. 128 Issue 6 p795–800Published in issue: December 2005
Vol. 129 Issue 2 p293–298Published in issue: February 2006
Chapter 8: The cephalometer takes its place in the orthodontic armamentarium
Vol. 129 Issue 4 p574–580 Published in issue: April 2006
Chapter 9: Functional appliances to midcentury
Vol. 129 Issue 6 p829–833 Published in issue: June 2006
Chapter 10: Midcentury retrospect
Vol. 130 Issue 2 p253–256 Published in issue: August 2006
Chapter 11: The golden age of orthodontics
Vol. 130 Issue 4 p549–553 Published in issue: October 2006
Chapter 12: Two controversies: Early treatment and occlusion
Vol. 130 Issue 6 p799–804 Published in issue: December 2006
Chapter 13: The temporomandibular joint and orthognathic surgery
Vol. 131 Issue 2 p263–267 Published in issue: February 2007
Chapter 14: Surgical adjuncts to orthodontics
Vol. 131 Issue 4 p561–565 Published in issue: April 2007
Chapter 15: Skeletal anchorage
Vol. 134 Issue 5 p707–710 Published in issue: November 2008
Chapter 16: Late 20th-century fixed appliances
Vol. 134 Issue 6 p827–830 Published in issue: December 2008