矯正歯科学・矯正歯科医療の「意義」,「定義」,「目的」,そして「不正咬合による障害」について
学問として:
医療として: についての区別
医学 medicine,
medical science とは学問であり,真理探究を目指す科学.
医療 health
care, medical treatment とは行為であり,患者を癒すための実践.
医療は,簡単に言うと,「人が他人を治す」
という社会的実践です.それは,共同体の中の社会的,文化的行為であり,共同体の中の構成員が病的状態,不適応状態になった場合,その共同体が持っている富,技術,知識という社会的資産および労働力をもって,その不適応になった個体が,適応状態になれるように,または,生存し続けるように治療・世話をすることです.動物でもやるような,自分が怪我をして,自分でその部位を舐めて治療するようなプライベートな行為は
医療 としません.
医療 を実践するためには,知識や経験が必要です.病気を認知して,原因を同定・追求し,対処方法を提示する知識(理論群・理論体系)が 医学 です.先に 医療
があって,医学 はその 医療
を効率よく実践するために意図的に編集された知識体系である.「医療」は人類の歴史とともに古く,連綿とつづいているのに対して,「医学」は時代と共に変化している.(中川米造)
医療の目標
健康の増進と病気の予防 症状,痛み,悩みの緩和
疾病の治癒 予期しない時期の死を防ぐ
機能改善,現状維持 患者教育とカウンセリング
治療過程での危険の回避
1907 Angle, E.H. :
Orthodontics is the science of correction of malocclusion of the teeth.
1911 Noyes:
Orthodontics is the study of relation of the teeth to the development of the
face and the correction of arrested and perverted development.
1922 British Society Orthodontics:
Orthodontics
is the study of growth and development of the jaws and face particularly, and
the body generally, as influencing the position of the teeth; the study of
action and reaction of internal and external influences on the development,
prevention, and correction of arrested and perverted development.
1947 高橋新次郎: 矯正齒科學 理論と實際 第六版(原文のまま)
第一章 矯正齒科學の意義:
従来 矯正齒科學Orthodontics,
Orthodontiaと云えば直ちに矯正装置の調整法,或はその應用法の研究であると云う様に考えられてゐたものであるが,これは非常に誤った見解であると云ふことが,斯學の進歩と共に,次第に明瞭となってきたのである。勿論矯正齒科學發達の過程に於ては前述の如く矯正器の研究,即ち言を換へていへば如何にして排列不正な歯牙を正常な位置に移動すべきかを研究するのが斯学の全使命であると考へられてゐたのである。然しながら近世に於ける斯学の急速な進歩は,遂に矯正器と云ふ器械的問題の舊殻を破って,不正咬合の本態を生物學的に闡明せんとする傾向を示すに至ったのである。従って矯正施術の實際に當つても徒らにこれが解決を器械學的方法にのみ求むることなく,生物學的にも亦この問題を解決しやうと努力するに至ったわけである。けだしこれは近世矯正齒科學の最も得異とするところと云つても差支へないと思はれる。
不正咬合を矯正装置のみによりて征服せんとして既に行詰りを感じつゝあった斯學は刮然としてその進路を轉じ,生物學にその解決の基礎を求むるに至ったのが矯正齒科學の現状である云ひ得るのである。従って矯正齒科學とは「齒牙,齒牙周圍組織,顎骨及びこれらの周圍造構の正常なる成長發育を研究すると同時に,これらの諸造構の不正なる發育によりて生じたる不正咬合,顎骨の不正状態及び顔面の異常等の改善を行ふことを研究し,更に進んで,これら不正状態の豫防をも講究する齒科醫學の一分科なり」と稱することを得るものである。(マツコーイ McCoy,
J. D.)
且て斯學の碩學,アングルAngle,E.H.がその著書に於いて「矯正齒科學とは,齒牙の不正咬合を矯正するを目的とする科學なり」と説破せえると對比すれば斯學發達の徑路を容易に知り得るものである。
アングルの定義はこの近世矯正齒科學の見地よりすれば矯正齒科學の一分科である矯正施術 Orthodonntic
treatmentの目的を説べて居るに過ぎないことがわかる。
不正咬合並びにこれに依りて招来される顎骨の異常,乃至は顔貌の不正(勿論顎骨の異常が原因で不正咬合を生ずることも多いが)等は單に患者の咀嚼,發音等の諸機能を阻害するにのみならず,患者自身の精神上にも頗る重大な影響を及ぼし,これがため自らを卑下し,社會生存上常に大なる損失を招きつゝあることは吾々經驗するところである。例へば圖1-2のやうな甚だしい不正咬合に於いては,その顔貌上に及す影響も極めて大であつて患者自らもその點に關し,懊惱苦悶せることは明らかである。かくの如き場合に於ける矯正施術の目的は,單に齒牙の正常なる機能を恢復するばかりでなく,進んで顔面の不正おも改善することにより,より重大な意義を有することは明である。
先きに著者は近世矯正學の根本問題は機械的問題より生物學的問題に推移しつつありと説けるも,これは矯正施術に際し器械的問題,即ち矯正装置等の應用を全く必要なしと云ふのではないのであって,勿論齒牙及至はその周圍組織の正常な發育を促し,且つその機能の完全を期するためには種々なる器械的手段を用ふることの必要でああることは,今更ら喋々を要せざる所である。然しながらこれ等の器械的方法は,飽く迄生物學的諸問題を解決するために利用される一つの手段に過ぎないものであって,それのみに依りて矯正學の諸問題は決して解決せられないことを断言したいのである。
矯正装置は矯正家にとりて恰も外科醫のメスにも相當し得可きものであって,その器械學的要約を充分に知悉すると同時に,その性能に關しても該博な知識を必要とすることは論を俟たないのである。卽ち矯正器の良否,適應症の有無,應用上の物理的諸要件等が直ちに矯正施術の實際的効果に重大なる關係を有することは,頗る明瞭な事實である。従ってこれ等器械學的方面の研究も,亦矯正學殊に矯正施術學進歩の上には必要缺く可からざるものであることは贅言を要さないのである。然しながらこれ等の器械的要件を應用して,實際的の効果を得んとする目的物は,齒牙,顎骨,筋肉等凡て,生物學的要素に依りて支配されるゝものであることに想い到れば,矯正學本来の目的は機械的問題より寧ろ生物學的問題の方に,より重要性をおくを妥當なりと信ずるものである。以上論述した所に依りて,歯科矯正學の意義は略ぼ了解されたことと思ふ。
第一章 引用文献 McCoy,
J. D. Applied orthodontia. 3rd edition. 1931, 頁17.
Angle,
E. H. Treatment of malocclusion of the teeth. 7th edition.
1907, 頁 7.
1958 Strang:
歯・顔面の不調和の改善」の語句を追加.
1960高橋新次郎:
歯,歯周組織,顎骨及びこれらに付随する諸構造(咀嚼筋,舌骨その他の部分も含む)の正常な成長発育を研究すると同時に,これら諸構造の不正な発育によって生じた,咬合の不正,顎骨の異常形態および顔貌の不正などの改善を行うことを研究し,さらにこれらの不正状態の発生を予防することをもあわせて研究する歯科医学の一分科である」
1966 Salzmann JA:
精神的な健康」の概念を追加.
1972 Graber, T.M. :
矯正学一般を,三つのカテゴリー,すなわち予防矯正(preventive
orthodontics),抑制矯正(interceptive
orthodontics),本格矯正(corrective
orthodontics)に分類した.
予防矯正:ある特定の時期において正常咬合と思われる本来の状態を守る処置をとること
抑制矯正:この段階の治療は歯牙顔面複合体の発育過程において将来,歯列の不規則性や位置異常が起こりうる可能性を見つけ出し,それを除去するためのもである.連続抜去法など
本格矯正:抑制矯正と同様に,不正咬合が既に存在しており,その症状やそれに伴う続発症を軽減し,除去するために矯正治療を行う必要性がある場合である.これらは通常,機械的なものであり,抑制矯正において使われたテクニックよりも,いっそう広範囲にわたるものである.本格矯正にあたってはとくに専門的なトレーニングが必要とされる.
1978 Christian Schulze: (シュルツェの歯科矯正学 山内和夫訳)
歯科矯正学の役割; 歯,口腔,それに顎の特殊分野である歯科矯正学には,大きく分けて次の四つの果たすべき役割がある.すなわち,
a) 「不正咬合」を認識すること.これは主に歯列と咬合の異常を指すが,不正ないし不調和な顎の大きさや形も対象となる.“正常な”歯群と比較(頭の中で)する方法で,認識するのと並行して,それらの不正咬合を診断,すなわち大まかに分けること(分類)をしなければならない.
b) 第2の役割は不正咬合の評価である.その際に問うべきことは,その不正がいつ発生したか,どの程度の徴候を示しているか,その民族(集団)における発生頻度はどの程度か,集団の違いによる発生頻度に違いがあるか,その他の不正(奇形)が同時に,平均以上に発生しているか,などである.この問題はむしろ形態発生に近いものであるが,疫学と呼ばれる.さらに奇形の原因となっている外因あるいは内因要素を問う.この場合は病因論という表現が用いられる.
c) 歯科矯正学の第三の役割は奇形の治療である.これは多種多様な装置と方法を用い,また多様な治療目的のもとに行われる.
d) 第4の役割は不正咬合の監視である.この場合,予防という表現が用いられる.歯科矯正学においては早期治療法がこの仕事を助ける.これはさらに,治療後の再発防止も含める.
1981 American Association Orthodontists: Orthodontics
and orthopedics is the area of dentistry concerned with the supervision,
guidance, and correction of growing and mature dentofacial structures, including
those conditions that require movement of teeth or correction of mal
relationships between teeth and facial bones by the application of forces and/or
simulation forces within the craniofacial complex.
2000 Pfoffit WR: 現代歯科矯正学の目的は,正しい上下顎歯の咬合関係,美しい歯並びと顔立ち,治療後の長期にわたる咬合の安定性,そして歯の修復という要素の間に最良のバランスを創り上げることである.
2012 第3版 新しい歯科矯正学 永末書店:
【矯正歯科学の定義】歯科矯正学とは,顎,顔面,頭蓋の正常な発育を研究するとともに,成長発育の不正により生じた異常の改善について研究し,さらに進んで,これらの異常の発生を予防することを研究する領域である.もちろん,歯科矯正学は臨床歯科医学であるから,矯正歯科治療を通じて総合咀嚼器官に現れた異常を改善し,さらにこれらの異常を予防する手段を研究し,実践する領域でもある.
【矯正歯科治療の目的と意義】歯並びが原因で起こる色々な不具合,例えば「見た目の悪さ」,「噛みにくさ,喋りにくさ」,「齲蝕,歯周病」などを軽減あるいは治癒させるためには,どのようなことをすればよいのか.また,これらを未然に防ぐにはどのようにすればよいのか考え,これを実行するのが矯正歯科治療である.
矯正歯科治療では,上記のような不具合で悩んでいる患者を,その悩みから解放するのが最終目的であるから,患者の精神的な問題にも注意を払う.すなわち,不正咬合に由来する患者の悩みを外面的にも,内面的にも改善するのが矯正歯科治療の目的であるといえる.
このようなところから,矯正歯科治療の意義は治療を通じて不正咬合で悩む患者が通常の社会生活を営めるようにするということにある.
【不正咬合による障害】
A 生理的障害
① 咀嚼機能障害
② 発音障害
③ 顎骨の発育に及ぼす障害
④ 齲蝕発生の誘因
⑤ 歯周疾患の誘因
⑥ 外傷の誘因
⑦ 補綴修復を困難にする
⑧ 顎関節症の誘因
B 心理的障害
B 心理的障害
人間は社会的生物である.すなわち,他人と無関係に社会生活を営むことはできない.この場合,顔貌,歯並びなど直接人の目に触れる部分の外観が,言葉以上に人間関係に影響することが考えられる.
個人の性格にもよるが,不正咬合による顔貌の不調和を気にして劣等感を持ったり,消極的になったり,ときには闘争的になったりする場合がある.このために,社会生活に支障をきたすことが考えられる.
2017 AAO Glossary:
orthodontics/ dentofacial orthopedics That
dental specialty which includes the diagnosis, prevention, interception,
guidance and correction of malrelationships of the developing or mature
orofacial structures.
Orthodontist A
dental specialist who has completed an advanced post-doctoral course in
orthodontics
orthognathic Normal
relationships of the jaws.
orthognathic surgery
Surgery to alter relationships of teeth and/or supporting bones, usually
orthopedic Correction
of abnormal form or relationship of bone structures. May be accomplished
Definitin of orthodontics
a branch of dentistry dealing with irregularities of the teeth (such as
malocclusion) and their correction (as by braces); also :
the treatment provided by a specialist in orthodontics
Serial: The Dental cosmos; a monthly record of dental science. [Vol. 70]
Angle, Edward H.: The Latest and Best in Orthodontic Mechanism. 70 (12),
p.1143-58, Dental Cosmos 1928.
2017 第5版 歯科矯正学
医歯薬出版
相馬邦道: 歯科矯正学とは,歯・顎顔面形態における成長発育やその後の増齢に伴った正常な形態と機能をはじめ,そこに生じた顎の異常な関係や不正咬合の病態を把握したうえで,均衡と調和を欠いたそれらの諸構造の状態を修復,もしくは予防することによって顎口腔機能の向上と顔貌の改善をはかり,ひいては生活の質的向上に寄与できるような研究と技術を追求する歯学の一分野である」
2019 第6版 歯科矯正学
医歯薬出版
【矯正歯科学の定義】
「歯科矯正学とは,歯・顎顔面形態における成長発育やその後の増齢に伴った正常な形態と機能をはじめ,そこに生じた顎の異常な関係や不正咬合の病態を把握したうえで,均衡と調和を欠いたそれらの諸構造の状態を修復,もしくは予防することによって顎口腔機能の向上と顔貌の改善をはかり,ひいては生活の質的向上に寄与できるような研究と技術を追求する歯学の一分野である」
歯並びや咬み合わせの不正,すなわち不正咬合のもたらす障害には,顎口腔領域で営まれる摂食,咀嚼,発音などの障害をはじめとして,審美性が損なわれることなどにより生じる,社会生活での不都合や心理的障害などがある.すなわち,不正咬合はquality
of
life(QOL)の低下をもたらす.矯正歯科治療はこのような顎口腔機能,また心理的,社会的な障害を予防・抑制・回復することにより,患者のQOLの向上に資することを大きな目的とする.
④ 歯根吸収の誘因
⑤ 咀嚼機能障害
⑥ 筋機能障害
⑦ 顎骨の発育異常
⑧ 発音障害
⑨ 審美的な欲求と心理的な背景
【矯正学における問題点】
従来より顎顔面生物学は矯正歯科臨床と研究の唯一の科学的基盤であった.矯正臨床と顎顔面生物学では互いの興味が明らかに重複している部分はある.しかし,矯正臨床は社会的,経済的,文化的要因にも大きく関与している.「新しいパラダイム」では,それらの相互関係をすべて認め,概念的にそれらを統合し,かつ研究面で矯正学を論理的に説明することを目指している.
【Clinical Practice Guidelines for Orthodontics and Dentofacial Orthopedics】
Orthodontic Treatment Definition
Orthodontic treatment is defined as a complex, professionally-guided, dynamic process that alters the dentofacial complex. Aspects of treatment require recurring clinical assessments in addition to in-person interactions with each patient by an appropriately licensed dentist.
Treatment Objectives
The objectives of orthodontic treatment are optimum dentofacial function, health, stability and esthetics. While these objectives are desirable, it should be recognized that individual patients have specific problems, concerns and conditions which may prevent the attainment of optimal results in every case. Therefore, the inability to achieve some of the objectives of orthodontic treatment in a particular patient is not an indication of negligence by the dentist even when no limiting factors are reasonably evident or foreseeable.
There are situations where it is appropriate to plan the treatment to address the patient’s limited objectives provided that such limited treatment is not detrimental to the patient. Any treatment plan that does not align with the optimal goals of orthodontic treatment should be acknowledged by the patient in an informed consent.
For example, a patient may present with a highly complex problem that will require lengthy and expensive treatment to fully resolve. The patient may prefer to resolve only specific aspects of the problem thereby reducing the scope of treatment to make it simpler, shorter, less expensive. In doing so the patient achieves some positive outcomes which satisfy the patient’s objectives for seeking treatment.